今朝,所用で車を運転中,ある家電製品等の廉価販売で有名な店の近くの信号で停止しました。何気なくその店舗建物を見ているうちに,15年くらい前の記憶が蘇ってきました。
結婚することになって間もなく,この店で冷蔵庫を購入したことを思い出したのでした。妻と一緒に見に行き,5階まで階段で上げなければならないことからサイズの制約があるものの,それなりに大きなサイズのものを購入しました。配達当日,2人では到底上げられないので,応援を頼んで4人くらいで少しずつ5階まで上げたのでした。何とか設置され,これで新婚夫婦の住居らしくなったような気がして嬉しかったことを思い出していました。最近も何度となくこの店のそばを通っていたのに,今までは「最近はここに来なくなったなあ」という程度のことしか思っていなかったのが,今日はあの日のことが一気に脳裏に浮かんできて,ちょっとうろたえたりしました。
こんな風に,何気ない風景の中に,亡き妻との思い出が見えてくる瞬間というものがこれからも続いていくのでしょう。私は今54歳ですが,あと何年寿命があるのか分からないにしても,そんな風に記憶が蘇って来る瞬間が何度やってくるのか,そのことを考えると,ただただ悲しみに包まれてしまいます。今は耐え難いなあということしか思えません。時間の流れの中でその受け止め方にどんな変化があるにせよ,二度と彼女に逢うことはできないのだという厳然たる現実の前に,途方に暮れるばかりです。
ビル・エヴァンス Conversations with myself を聴きながら
2010年12月8日水曜日
12月8日
今日は真珠湾攻撃の日ですが,僕にとってはジョン・レノンが暗殺された日として永遠に記憶に残っている日です。
そのときあなたは?という質問がされる特別な日というのがあります。アメリカ人であれば,1963年のケネディ大統領暗殺の日がすぐに浮かんでくるでしょう。アランダーショウィッツというハーバード大学教授が書いた「beyond reasonable doubt」というO.J.シンプソン裁判について詳細に分析された本があります。まだ翻訳されていないはずですが,「合理的疑いを超える立証」とはどのようなものかを非常に分かりやすく書いたもので,裁判員裁判が始まっている日本においてもとても参考になる本です。何故翻訳されないのか不思議な本の一冊です。その中で,著者は,O.J.シンプソンの評決が出された日は,ケネディ暗殺と同じように,将来,そのときあなたは何をしていたか?という話題になる日になるだろうと書いていますが,さあどうでしょうか。とにかく,その当時は,無罪評決が全世界に衝撃をもって伝えられたものです。
ジョンが暗殺された日,僕は東京の恵比寿で司法浪人4人で勉強会をしていました。お昼になり,コンビニに弁当か何かを買いに行ったとき,店内にラジオが流れていて「ジョンレノン」という言葉が聞こえました。その当時,長いブランクを終えて音楽に戻り,世界ツアーをするという情報が入っていたので,その話かなと思って良く聴いていると,射殺されたというニュースだということが分かりました。呆然自失とはあのときのことを言うのでしょう。何が起こったのか理解できないまま,勉強会をしていた友人のアパートに戻りました。その後,他の3人は何事もなかったかのように勉強会を続けるのでしたが,僕はとてもそんな気持ちにはなれず,ただぼんやりと時間が経つのを待っていました。そして,ジョンが死んだというのに,こうして平然と勉強会を続けることができる彼らは自分とは全く別の人種なんだな,そういう種類の人間が存在するんだな・・・とあっけにとられるような感覚で彼らを見ていました。
その日の夜不思議なことがありました。どうしてそこにいたのか,今となっては記憶がないのですが,勉強会の後,午後8時過ぎだと思いますが,僕は中野駅のホームに立っていました。その頃の僕のアパートは西武新宿線の上石神井でしたから,何故中野駅にいたのか記憶していません。
とにかく,ジョンが死んだという事実の前で呆然としてホームに立っていると,2本向こうの別のホームに知った顔があるのでした。同じ北海道から東京に来ていた,従妹がこっちを向いて立っているのでした。僕は大声で彼女に呼びかけました。彼女も僕に気がついて,僕は走って彼女のいるホームまで行き,ジョンが殺されたことを教え,中野で彼女とジョンのことを語り合いながら痛飲しました。彼女が何故中野にいたのかも忘れましたが,電車が来るまでの数分の間に,普段は来ることのない場所で出会ったことに,単なる偶然以上のものを感じました。誰かとジョンのことを話したかったので,本当に救われたような気持ちでした。
ジョンは40年の人生でした。
妻は44歳。たった44年です。もっともっといろいろやりたいことがありました。子どもが大好きだった。びっくり部屋をもっともっと開かれた素敵な空間にする計画を持っていました。
どんなに悔しかっただろう・・・心残りだったと思います。
一番の心残りは,まだ12歳(当時)の娘のこと。その成長をずっと見守っていたかった。
ピーター・ガブリエル「スクラッチ・マイ・バック」を聴きながら
そのときあなたは?という質問がされる特別な日というのがあります。アメリカ人であれば,1963年のケネディ大統領暗殺の日がすぐに浮かんでくるでしょう。アランダーショウィッツというハーバード大学教授が書いた「beyond reasonable doubt」というO.J.シンプソン裁判について詳細に分析された本があります。まだ翻訳されていないはずですが,「合理的疑いを超える立証」とはどのようなものかを非常に分かりやすく書いたもので,裁判員裁判が始まっている日本においてもとても参考になる本です。何故翻訳されないのか不思議な本の一冊です。その中で,著者は,O.J.シンプソンの評決が出された日は,ケネディ暗殺と同じように,将来,そのときあなたは何をしていたか?という話題になる日になるだろうと書いていますが,さあどうでしょうか。とにかく,その当時は,無罪評決が全世界に衝撃をもって伝えられたものです。
ジョンが暗殺された日,僕は東京の恵比寿で司法浪人4人で勉強会をしていました。お昼になり,コンビニに弁当か何かを買いに行ったとき,店内にラジオが流れていて「ジョンレノン」という言葉が聞こえました。その当時,長いブランクを終えて音楽に戻り,世界ツアーをするという情報が入っていたので,その話かなと思って良く聴いていると,射殺されたというニュースだということが分かりました。呆然自失とはあのときのことを言うのでしょう。何が起こったのか理解できないまま,勉強会をしていた友人のアパートに戻りました。その後,他の3人は何事もなかったかのように勉強会を続けるのでしたが,僕はとてもそんな気持ちにはなれず,ただぼんやりと時間が経つのを待っていました。そして,ジョンが死んだというのに,こうして平然と勉強会を続けることができる彼らは自分とは全く別の人種なんだな,そういう種類の人間が存在するんだな・・・とあっけにとられるような感覚で彼らを見ていました。
その日の夜不思議なことがありました。どうしてそこにいたのか,今となっては記憶がないのですが,勉強会の後,午後8時過ぎだと思いますが,僕は中野駅のホームに立っていました。その頃の僕のアパートは西武新宿線の上石神井でしたから,何故中野駅にいたのか記憶していません。
とにかく,ジョンが死んだという事実の前で呆然としてホームに立っていると,2本向こうの別のホームに知った顔があるのでした。同じ北海道から東京に来ていた,従妹がこっちを向いて立っているのでした。僕は大声で彼女に呼びかけました。彼女も僕に気がついて,僕は走って彼女のいるホームまで行き,ジョンが殺されたことを教え,中野で彼女とジョンのことを語り合いながら痛飲しました。彼女が何故中野にいたのかも忘れましたが,電車が来るまでの数分の間に,普段は来ることのない場所で出会ったことに,単なる偶然以上のものを感じました。誰かとジョンのことを話したかったので,本当に救われたような気持ちでした。
ジョンは40年の人生でした。
妻は44歳。たった44年です。もっともっといろいろやりたいことがありました。子どもが大好きだった。びっくり部屋をもっともっと開かれた素敵な空間にする計画を持っていました。
どんなに悔しかっただろう・・・心残りだったと思います。
一番の心残りは,まだ12歳(当時)の娘のこと。その成長をずっと見守っていたかった。
ピーター・ガブリエル「スクラッチ・マイ・バック」を聴きながら
2010年12月7日火曜日
日本人は日本語で歌ってほしい
日本人が英語で歌うのに感心したことはあまりない。例えば,ジャズシンガーにケイコ・リーという人がいて,彼女の歌を絶賛する人は多いようだが,いいと思ったことはない。その昔,まだくっちゃんジャズフェスティバルがあった頃,家族で行ったことがあり,彼女が歌うのを聴いたが,ぜんぜん良くなくて,その発音を聴いていて何か恥ずかしいような感じを抑えることができなかった。妻は「どうして日本人が英語で歌うと,心が感じられないのかな。とても薄っぺらにしか響かないこと分からないのかな。」と言っていた。本当の気持ちが,心が感じられない歌は,どんなに上手に聞こえたとしても,そこから感動を受けることはない。
先日,「ゴースト」という映画を観てきた。デミ・ムーアとパトリック・スウェイジのオリジナルのリメイク。少し前なら,このような内容の映画を観に行く気持ちにはならなかっただろう。少しずつ,自分の中で,妻の亡くなったことを受け入れられるような場所ができつつあるのかもしれない。
映画自体は,予想していたとおり?到底オリジナルを超えられるものではなかったけれど,お気に入りの通路側の席で,ポップコーンMサイズ,コーラMサイズと一緒にスクリーンに向かっていると,隣に妻が座っているような気がした。ほんのチョットした悲しい場面や幸せな場面でも,すぐ涙ぐんでしまう妻。きっとこのシーンで涙ぐんでいるな,とそっと横を見ると,案の定,ウルウルしていて僕に見られているのに気がついて,照れ笑いをする彼女。そんな彼女が見えるようなシーンがいくつかあった。
しかし,オリジナルでもテーマソングだった,ライチャス・ブラザーズのアンチェインドメロディUNCHAINED MELODY が流れたとき,わずかに感じつつあった感動のようなものがスーッと冷めて行くのが分かった。すぐには分からなかったのだが,ライチャスブラザーズのではない。日本人が歌っているなと分かる歌い方で,英語の発音はともかく,そこにはオリジナルに感じられる心が全く感じられなかった。それが2回歌われるのが辛かった。
映画が終わり,クレジットで平井堅が歌っていたことが分かった。彼は,とても素晴らしい歌手だと思うが,英語で歌うのはやめてほしいと願った。
そう考えると,ジェロってすごいのかもしれない。テレビで何度か聴いただけだが,彼の演歌には本当に気持ちを感じることができるような気がした。
そういえば,娘がジャニーズ系が大嫌いで,その理由が,歌が表面的で心が感じられないというもの。そういわれると,エグザイルなどそれほど知ってはいない日本のアーティストの歌に感じる表層性とでもいうものは,ひとつの特徴としてあるように思う。
ただ,桑田は別格だとは思う。彼の歌を聴くと,歌と彼自身が乖離することなく,彼自身から自然に流れてきた歌だということが感じられる。ヤザワ?残念ながら彼のことは全く分からないが「時間よ止まれ」は凄いと思う。
クーリエ・ジャポンという雑誌の新年号をめくっていたら,ドイツで「イズ」の「虹の彼方に」が大ヒットしているという記事が載っていた。ハワイの歌手で,イズラエル・カマカヴィヴォが本名。すごい巨体だが,その声は一度聴いたら心をすっとつかんで離さない。生前,妻がU-TUBEで見つけて,何度も一緒に見たことを思い出す。昏睡状態になってから亡くなるまでの4日間,ずっとかけ続けた彼女の好きな曲の中に,この曲も入っている。彼自身は13年前に38歳で亡くなっているが,妻が「こんな素敵な歌を歌うひとが若くして亡くなるなんてアンフェアだね」と言っていたが,その言葉を彼女をのために叫びたい。unfairだよ!!!!!
マリアンヌ・フェイスフルのニューアルバム「EASY COME EASY GO」を聴きながら
先日,「ゴースト」という映画を観てきた。デミ・ムーアとパトリック・スウェイジのオリジナルのリメイク。少し前なら,このような内容の映画を観に行く気持ちにはならなかっただろう。少しずつ,自分の中で,妻の亡くなったことを受け入れられるような場所ができつつあるのかもしれない。
映画自体は,予想していたとおり?到底オリジナルを超えられるものではなかったけれど,お気に入りの通路側の席で,ポップコーンMサイズ,コーラMサイズと一緒にスクリーンに向かっていると,隣に妻が座っているような気がした。ほんのチョットした悲しい場面や幸せな場面でも,すぐ涙ぐんでしまう妻。きっとこのシーンで涙ぐんでいるな,とそっと横を見ると,案の定,ウルウルしていて僕に見られているのに気がついて,照れ笑いをする彼女。そんな彼女が見えるようなシーンがいくつかあった。
しかし,オリジナルでもテーマソングだった,ライチャス・ブラザーズのアンチェインドメロディUNCHAINED MELODY が流れたとき,わずかに感じつつあった感動のようなものがスーッと冷めて行くのが分かった。すぐには分からなかったのだが,ライチャスブラザーズのではない。日本人が歌っているなと分かる歌い方で,英語の発音はともかく,そこにはオリジナルに感じられる心が全く感じられなかった。それが2回歌われるのが辛かった。
映画が終わり,クレジットで平井堅が歌っていたことが分かった。彼は,とても素晴らしい歌手だと思うが,英語で歌うのはやめてほしいと願った。
そう考えると,ジェロってすごいのかもしれない。テレビで何度か聴いただけだが,彼の演歌には本当に気持ちを感じることができるような気がした。
そういえば,娘がジャニーズ系が大嫌いで,その理由が,歌が表面的で心が感じられないというもの。そういわれると,エグザイルなどそれほど知ってはいない日本のアーティストの歌に感じる表層性とでもいうものは,ひとつの特徴としてあるように思う。
ただ,桑田は別格だとは思う。彼の歌を聴くと,歌と彼自身が乖離することなく,彼自身から自然に流れてきた歌だということが感じられる。ヤザワ?残念ながら彼のことは全く分からないが「時間よ止まれ」は凄いと思う。
クーリエ・ジャポンという雑誌の新年号をめくっていたら,ドイツで「イズ」の「虹の彼方に」が大ヒットしているという記事が載っていた。ハワイの歌手で,イズラエル・カマカヴィヴォが本名。すごい巨体だが,その声は一度聴いたら心をすっとつかんで離さない。生前,妻がU-TUBEで見つけて,何度も一緒に見たことを思い出す。昏睡状態になってから亡くなるまでの4日間,ずっとかけ続けた彼女の好きな曲の中に,この曲も入っている。彼自身は13年前に38歳で亡くなっているが,妻が「こんな素敵な歌を歌うひとが若くして亡くなるなんてアンフェアだね」と言っていたが,その言葉を彼女をのために叫びたい。unfairだよ!!!!!
マリアンヌ・フェイスフルのニューアルバム「EASY COME EASY GO」を聴きながら
2010年12月6日月曜日
おくりびと
「おくりびと」という映画,外国でも高い評価を受けた映画ですが,僕はDVDで途中まで観て最後までは観ていません。妻は映画館で観て,いい映画だったと言っていました。今年の3月頃だったと思いますが,借りてきたDVDを一緒に見始めて,理由は忘れましたが,僕は途中からテレビの前を離れて,そのままになっています。
それから約3ヶ月後,6月16日午前2時44分に逝ってしまった妻の体を清めてあげることになるとは夢にも思っていませんでした。12日から昏睡状態になっていた妻の寝息をずっと聴きながら過ごしました。妻の好きだった音楽をずっとかけ続け,娘と一緒に話しかける日々でした。不思議なことがありました。娘が母親に聴かせてあげるためにCDを何気なく買ってきたのですが,それはパッヘルベルのカノンが1曲目に入ったクラシックのコンピレーションでした。この曲は,96年1月20日の僕たちの結婚式で入場のときに演奏されたものです。そんなことは何も知らない娘の選んだCDの1曲目が流れたとき,時間はあの日に戻り,涙が流れました。その話を聞いて,娘も驚いていました。
まだ暖かい妻が来ていた衣服を脱がし,暖かいお湯に浸したタオルで全身を拭いてあげました。
そして彼女の好きだったローションを全身に塗ってあげました。娘も一緒です。僕と娘の二人だけで塗ってあげました。ホスピスから来ていたナースには妻の体を支えたりするのを手伝ってもらいましたが,娘と二人で彼女を綺麗にしてあげることができて,幸せだったと今は思います。でも,そのときは,妻が亡くなっていることの実感はまだなかったと思います。まるで,ぐっすりと眠っている彼女の世話をしてあげているような感覚だったような気がします。
葬儀社の人が来て,彼女を連れていくまでの1時間以上の間,僕と妻の二人だけの時間が持てました。まだ暖かい彼女の身体をさすってあげながら,ずっと話しかけていました。ふと彼女の顔を見ると口元が笑っているようになっていました。最後のキンバリースマイルでした。
彼女を知る誰に聞いても,その笑顔が最高に素敵だったと言います。本当にあんな素敵な人の気持ちを優しく和ませるような笑顔は他にはいません。
最後までは観ていない「おくりびと」について今思うことは,まるで荘厳な儀式のように行われる一連の作業を見ているのではなく,遺族の方が自分の手で,愛する人を丁寧に優しく清めてあげることができることが,とても意味のあることではないのかな,ということです。もちろん,それができないような状況がたくさんあるでしょうが,可能であるなら,そうしてあげられるといいなと思います。
そんな風に,彼女の最期の時間を一緒に過ごしてはいるのですが,それでも,まだ彼女が亡くなってしまい,触れることも声を聴くたともできないということが信じられません。
ドボルザーク作曲「弦楽六重奏曲」作品番号48を聴きながら
それから約3ヶ月後,6月16日午前2時44分に逝ってしまった妻の体を清めてあげることになるとは夢にも思っていませんでした。12日から昏睡状態になっていた妻の寝息をずっと聴きながら過ごしました。妻の好きだった音楽をずっとかけ続け,娘と一緒に話しかける日々でした。不思議なことがありました。娘が母親に聴かせてあげるためにCDを何気なく買ってきたのですが,それはパッヘルベルのカノンが1曲目に入ったクラシックのコンピレーションでした。この曲は,96年1月20日の僕たちの結婚式で入場のときに演奏されたものです。そんなことは何も知らない娘の選んだCDの1曲目が流れたとき,時間はあの日に戻り,涙が流れました。その話を聞いて,娘も驚いていました。
まだ暖かい妻が来ていた衣服を脱がし,暖かいお湯に浸したタオルで全身を拭いてあげました。
そして彼女の好きだったローションを全身に塗ってあげました。娘も一緒です。僕と娘の二人だけで塗ってあげました。ホスピスから来ていたナースには妻の体を支えたりするのを手伝ってもらいましたが,娘と二人で彼女を綺麗にしてあげることができて,幸せだったと今は思います。でも,そのときは,妻が亡くなっていることの実感はまだなかったと思います。まるで,ぐっすりと眠っている彼女の世話をしてあげているような感覚だったような気がします。
葬儀社の人が来て,彼女を連れていくまでの1時間以上の間,僕と妻の二人だけの時間が持てました。まだ暖かい彼女の身体をさすってあげながら,ずっと話しかけていました。ふと彼女の顔を見ると口元が笑っているようになっていました。最後のキンバリースマイルでした。
彼女を知る誰に聞いても,その笑顔が最高に素敵だったと言います。本当にあんな素敵な人の気持ちを優しく和ませるような笑顔は他にはいません。
最後までは観ていない「おくりびと」について今思うことは,まるで荘厳な儀式のように行われる一連の作業を見ているのではなく,遺族の方が自分の手で,愛する人を丁寧に優しく清めてあげることができることが,とても意味のあることではないのかな,ということです。もちろん,それができないような状況がたくさんあるでしょうが,可能であるなら,そうしてあげられるといいなと思います。
そんな風に,彼女の最期の時間を一緒に過ごしてはいるのですが,それでも,まだ彼女が亡くなってしまい,触れることも声を聴くたともできないということが信じられません。
ドボルザーク作曲「弦楽六重奏曲」作品番号48を聴きながら
2010年12月3日金曜日
完全な勘違い
昨日は41年間の間違った思い込みについて書きましたが,別の大いなる勘違いについて。
妻が亡くなったあと,妻を知る人によくこんなことを言われます。
「キンバリーは日本人以上に気のつく,思いやりのある人だったね」
僕は言います。
「日本人にあんな人はいません。」
どうも日本人は,自分たちが外国人に比べて優しく思いやりがあるものと思っている人が多いようです。それで,妻のことを「日本人以上に」などと言うのでしょう。こう言われたのは一人や二人ではありませんから,このような思い込みはかなり深いと思います。
それが間違いであることは,これまで例に挙げた何人もの弁護士のことを考えれば全くの誤りであることは明白ですが,その他にもこんなこともあります。
知り合いの北欧出身の女性が札幌市に暮らしていました。隣近所とのつきあいも良く,とても仲の良い日本人の友人たちに囲まれて,札幌でずっと暮らすつもりでいました。その彼女は,今は自分の国に帰って札幌にはいません。
彼女は私生活上の問題等があって,体調を悪くし,うつになってしまったのでした。
当然,それまで交際のあった日本人の友人たちがいろいろと力になってくれるものと思っていましたが,次第にその人たちは彼女から離れて行きました。彼女は,大変な精神的ショックを受け,この国では生きてはいけないと思い知らされ,国に帰ったのです。
年間3万人を超える自殺者の背景には,このような「思いやるがあると自分では思っているが,実際には他人を孤独にさせる優しい日本人」がいることは間違いありません。
幼い姉と弟が遊び歩いていた母親に置き去りにされて餓死した事件がありました。
その事件を知ったとき,妻が同じマンションにいたら絶対にこの子どもたちは助かっただろうと思いました。インターホンから助けを求める声が聞こえても誰も動こうとしなかった人たち。妻がいたら,僕と一緒にその子どもたちの部屋がどこなのかを全部の部屋を訪問して見つけ出したことは間違いありません。すぐ警察にも通報したでしょう。本当にかわいそうなこどもたちです。
昨日は,テレビで「ブラタモリ」を見ました。この番組妻も好きでした。一人で見ながら,隣に妻がいるような気がしました。
ウェス・モンゴメリー「BODY AND SOUL」を聴きながら
妻が亡くなったあと,妻を知る人によくこんなことを言われます。
「キンバリーは日本人以上に気のつく,思いやりのある人だったね」
僕は言います。
「日本人にあんな人はいません。」
どうも日本人は,自分たちが外国人に比べて優しく思いやりがあるものと思っている人が多いようです。それで,妻のことを「日本人以上に」などと言うのでしょう。こう言われたのは一人や二人ではありませんから,このような思い込みはかなり深いと思います。
それが間違いであることは,これまで例に挙げた何人もの弁護士のことを考えれば全くの誤りであることは明白ですが,その他にもこんなこともあります。
知り合いの北欧出身の女性が札幌市に暮らしていました。隣近所とのつきあいも良く,とても仲の良い日本人の友人たちに囲まれて,札幌でずっと暮らすつもりでいました。その彼女は,今は自分の国に帰って札幌にはいません。
彼女は私生活上の問題等があって,体調を悪くし,うつになってしまったのでした。
当然,それまで交際のあった日本人の友人たちがいろいろと力になってくれるものと思っていましたが,次第にその人たちは彼女から離れて行きました。彼女は,大変な精神的ショックを受け,この国では生きてはいけないと思い知らされ,国に帰ったのです。
年間3万人を超える自殺者の背景には,このような「思いやるがあると自分では思っているが,実際には他人を孤独にさせる優しい日本人」がいることは間違いありません。
幼い姉と弟が遊び歩いていた母親に置き去りにされて餓死した事件がありました。
その事件を知ったとき,妻が同じマンションにいたら絶対にこの子どもたちは助かっただろうと思いました。インターホンから助けを求める声が聞こえても誰も動こうとしなかった人たち。妻がいたら,僕と一緒にその子どもたちの部屋がどこなのかを全部の部屋を訪問して見つけ出したことは間違いありません。すぐ警察にも通報したでしょう。本当にかわいそうなこどもたちです。
昨日は,テレビで「ブラタモリ」を見ました。この番組妻も好きでした。一人で見ながら,隣に妻がいるような気がしました。
ウェス・モンゴメリー「BODY AND SOUL」を聴きながら
2010年12月2日木曜日
間違いの発見
昨日,41年間信じてきた事実が間違っていたことを発見してショックを受けました。
キング・クリムゾンのデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」は1969年発売ですが,同じ年に発売されたビートルズの「アビーロード」をヒットチャートの1位から引きずり下ろしたアルバムだと当時からずーっと信じていました。音楽雑誌で読んだり,ラジオでDJが言っていたので,当然それが事実だと信じていたのです。
ところが,昨日たまたま書店で手に取ったロック系音楽雑誌をパラパラめくっていると,キング・クリムゾンのアルバムリマスター関連の記事の中に,このアルバムがアビーロードを1位から引きずり下ろしたという説があるが,実際にはイギリスのローカルチャートの話であって,イギリス全土のヒットチャートでは最高が5位だったというのです。 41年間信じてきた事実が間違っていたことを知らされ,愕然とした瞬間でした。 実は,2年くらい前の札幌のローカル雑誌のコラムに僕が載ったことがあり,「私の1枚」というテーマで「クリムゾンキングの宮殿」を取り上げて,間違った情報を伝えたことがあって,訂正の機会はないと思うので,この場を借りて訂正させていただきます。
しかし,このような間違った認識をしていることって他にもたくさんあるのではないかと思います。
気をつけたいと思います。
クレメンティ作曲ピアノ曲集を聴きながら
キング・クリムゾンのデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」は1969年発売ですが,同じ年に発売されたビートルズの「アビーロード」をヒットチャートの1位から引きずり下ろしたアルバムだと当時からずーっと信じていました。音楽雑誌で読んだり,ラジオでDJが言っていたので,当然それが事実だと信じていたのです。
ところが,昨日たまたま書店で手に取ったロック系音楽雑誌をパラパラめくっていると,キング・クリムゾンのアルバムリマスター関連の記事の中に,このアルバムがアビーロードを1位から引きずり下ろしたという説があるが,実際にはイギリスのローカルチャートの話であって,イギリス全土のヒットチャートでは最高が5位だったというのです。 41年間信じてきた事実が間違っていたことを知らされ,愕然とした瞬間でした。 実は,2年くらい前の札幌のローカル雑誌のコラムに僕が載ったことがあり,「私の1枚」というテーマで「クリムゾンキングの宮殿」を取り上げて,間違った情報を伝えたことがあって,訂正の機会はないと思うので,この場を借りて訂正させていただきます。
しかし,このような間違った認識をしていることって他にもたくさんあるのではないかと思います。
気をつけたいと思います。
クレメンティ作曲ピアノ曲集を聴きながら
2010年12月1日水曜日
12月です
いよいよ今年もあと一ヶ月となりました。妻のいない初めての師走と新年になります。まだ妻の不在が信じられない心境です。
昨日,キンバリーのクラスの生徒さんの母親が相談に来ました。建築中の自宅について業者の対応がおかしいということについての相談でしたが,しばらく妻の話になって僕も泣いてしまいしました。人見知りが強くて引っ込み思案な自分のことをキンバリーが励ましてくれてどんなに救われたか,同じ気持ちで今もキンバリーが亡くなったことを受け入れられない人たちがたくさんいるという話をしてくれました。本当に彼女は,他人の悩みや苦しみを心から受け止めて,励まして,気持ちを前向きにすることのできる人でした。
今この文章を書きながら,事務所の僕の部屋のドアをノックして妻が入って来るような気がしています。
昨日はオーストラリア人に会ってきました。既に,被疑者国選弁護人がついていることが分かったので,今後の予想される手続きなどについて説明してきました。国選弁護人は通訳を連れて接見したようですが,弁護士は英語が話せず,通訳の英語も下手で,うまくコミュニケーションできないと言っていました。外国人が逮捕される事件もかなりありますが,適切な通訳がなされているかは非常に疑問です。僕は英語は通訳なしで対応できますが,それ以外の言語は通訳に頼るしかありません。通訳が正確かどうか確認のしようがなく,非常に不安を感じます。
英語ができれば何とかなることがあるので,弁護士は英語くらいできて当然だと思うのですが,現実はそうはいかないようです。
キング・クリムゾン「ポセイドンのめざめ」を聴きながら
昨日,キンバリーのクラスの生徒さんの母親が相談に来ました。建築中の自宅について業者の対応がおかしいということについての相談でしたが,しばらく妻の話になって僕も泣いてしまいしました。人見知りが強くて引っ込み思案な自分のことをキンバリーが励ましてくれてどんなに救われたか,同じ気持ちで今もキンバリーが亡くなったことを受け入れられない人たちがたくさんいるという話をしてくれました。本当に彼女は,他人の悩みや苦しみを心から受け止めて,励まして,気持ちを前向きにすることのできる人でした。
今この文章を書きながら,事務所の僕の部屋のドアをノックして妻が入って来るような気がしています。
昨日はオーストラリア人に会ってきました。既に,被疑者国選弁護人がついていることが分かったので,今後の予想される手続きなどについて説明してきました。国選弁護人は通訳を連れて接見したようですが,弁護士は英語が話せず,通訳の英語も下手で,うまくコミュニケーションできないと言っていました。外国人が逮捕される事件もかなりありますが,適切な通訳がなされているかは非常に疑問です。僕は英語は通訳なしで対応できますが,それ以外の言語は通訳に頼るしかありません。通訳が正確かどうか確認のしようがなく,非常に不安を感じます。
英語ができれば何とかなることがあるので,弁護士は英語くらいできて当然だと思うのですが,現実はそうはいかないようです。
キング・クリムゾン「ポセイドンのめざめ」を聴きながら
登録:
投稿 (Atom)