2011年8月7日日曜日

自分だけでは楽しめない

今朝,テレビを見ながら涙が出てしまいました(考えてみると,僕は相当「泣き虫」のようで,娘の彩によく言われます。「お父さん,泣きすぎ!」)

日曜日の朝9時から「題名のない音楽会」という番組があります。数少ない好きなテレビ番組の一つで(もうひとつの「ブラタモリ」はもうやらないのだろうか・・・),佐渡裕の司会も好きなので,よく見ます。
今日はバイオリンの秘密がテーマでストラディヴァリウスとガルネリという名器の特集でした。
ヴァイオリンの構造についての説明などがあって,実際の演奏が始まったとたん涙が出てきました。
曲名が今思い出せないのですが,心がうきうきするような楽しい,有名な小曲です。涙が出たのは,
その曲に合わせて身体をちょっと揺すったときでした。
すぐにはそのわけが分かりませんでしたが,キンバリーの表情が浮かんできて,その理由が分かりました。「自分だけが楽しい時間をもっている」ことに対して,キンバリーが一緒にそんな時間を持てないということに, どこかで「罪悪感」「ごめんね」という気持ちを感じてしまい,キンバリーがいないんだということを思い知らされて,心から楽しむことができず,彼女と楽しみを共有できないことが悲しくて涙となってしまうのだと思いました。

思い返すと,彼女が逝ってしまってから,心から楽しいと思えた時間は皆無です。
すべてのことが,単なる「時間潰し」のようにしか思えないのが正直なところです。
「キンバリーは僕と彩が楽しく元気に生きていくことを望んでいるよ」と言われることがあります。
そう思えるようになるものなのか,今はこの「時間潰し」感覚で,とりあえず生きていくしかないと思っています。


シベリウス  交響曲5番  ジェイムス・レヴァイン指揮  ベルリン・フィルを聴きながら

2011年8月5日金曜日

北大の思い出

今朝6時半頃,ロイ(6歳のフラットコーテッドレトリーバー。オス)と自転車で久しぶりに北大構内を散歩してきました。北大は自宅から歩いて5分の距離にあります。北大にはたくさんの思い出があります。
小学校4年生の新学期に北区北17条西2丁目の木造2階建の家に引っ越してきてから,ずっとここで生活してきました。現在の事務所は,同じ場所に建てたビルの中にあります。
当時(昭和46年。1966年)は,このあたりはまだ道路も舗装されておらず,トラックが通るたびに家が揺れていました。
北大構内の校舎ビルも今よりずっと少なくて,教養学部の校舎があるところ(今は教養学部とは言わないのかもしれませんが)は,グラウンドになっていて,野球の試合を観に行っていました。
構内には壊れたオートバイが無造作に捨てられていたりして,中学3年のとき,友人2人とそのバイクのエンジンをかけ(直結と言っていましたが,キーはないので,配線を直接結んでエンジンをかけるのです),構内を3人乗りで乗り回したりしたことがあります。「パーン」と大きな音がしてタイヤがパンクしてしまいました。

今朝は北大病院のわきにある有名な銀杏並木から構内に入っていきました。北大病院では,2008年1月にアメリカで右乳房全摘出手術をして日本に戻ってから抗ガン剤と放射線治療をしました。抗ガン剤治療が終わるまで娘と一緒にキンバリーのそばにいて,いろんな話をしたりしました。一人で歩いて北大に向かうキンバリーの後ろ姿が目に浮かびます。

北大はキンバリーが姉妹校であるマサチューセッツの大学から交換留学生として勉強していたところ。この留学がなかったら僕たちは出逢っていなかったはずですから,北大は特別な存在になります。

キンバリーは日本語が素晴らしく上手でした。彼女の発音は,電話で聞いたときなどは日本人かと思うくらい自然な日本語でした。2年間アメリカの大学で勉強してからこちらに来たのですが,日常会話は大丈夫だったと言っていました。語学の才能があったと思います。
彼女が日本語を勉強することになったのは偶然でした。キンバリーはロシア文学が好きだったので,ロシア語のコースをとろうと思っていたのですが,その学期にはロシア語コースがなかったので,じゃ日本語にしようか,という感覚で日本語の勉強をしたのです。よく笑い話で,「あのときロシア語コースがあったら,今頃,ロシアで凍えているかもしれない。」と言っていました。

北大の留学期間が終わっても,キンバリーは札幌が好きで,語学学校の教師をしたりしながら3年くらい札幌にいました。もし,留学期間終了とともにアメリカに戻っていたら,僕とは出逢わなかったでしょう。そして,日本での就職希望が叶わず,一旦,ニューヨークの大学院に行こうと決めて,札幌を発つ日のちょうど2週間前に僕と出逢ったのでした。その出逢いのことは書いたことがありますが,あのとき,大通西2丁目のミスタードーナッツの前で,キンバリーが一人で立っていなくて,他の友人たちと一緒にいたとしたら,あんなに強烈な印象を受けることはなかったかもしれません。
いろいろな偶然が積み重なって,僕たちは出逢ったのだと思います。

そんな彼女がいないことの理不尽さに, ときどき耐えられないような気持ちになります。
理不尽なことで埋めつくされているような世の中ですが・・・

キング・クリムゾン  太陽と戦慄  Lark’s Tongues in Aspic  を聴きながら
(原題と全く関係のない邦題がつく典型)

2011年8月3日水曜日

8月になりました

8月は娘の彩の誕生日が24日にやってきます。母親のいない2回目の誕生日になります。14歳。
まだ12歳のときに母親を亡くしたことになります。
僕は男ばかり4人兄弟の長男なので,娘と母親との関係がどんなものなのかは,よく分かりません。せいぜい,映画・テレビドラマ・小説などで描かれたものを知識としてもってるだけです。
キンバリーのような母親との関係をずっと持てたとの持てないこれからと,比較することはできませんが,彩が失ってしまったものはとっても大きいと思わずにはいられません。
キンバリーの代わりにはなりようがありませんが,彩にとって良い父親でいたいと思っています。

最近,あるコンペで一緒になったのをきっかけに,ゴルフに誘ってくれる方ができました。僕よりずっと人生の先輩になる方ですが,一緒にラウンドするのがとても楽しい方です。

雄大な景色が見えるコースを回っているとき,いつも,この景色をキンバリーに見せてあげたいなあと思います。北海道の自然が大好きなキンバリーでした。
毎日,キンバリーが本当に死んだんだなあ・・・もう逢えないんだなあ・・・ということが「本当のこと」なんだということを,少しずつ少しずつ受け入れているのが続いているのだなあと思います。
何度も携帯に残っている彼女のビデオを見ます。笑っているキンバリー。その彼女がこの世にはいないんだということが,いまだに本当なんだと完全には納得できていません。

新しい人と出会えることのできるゴルフを始めていて良かったなあと思います。

ショパン ピアノ協奏曲1番  ポゴレリチ(p)を聴きながら

2011年7月28日木曜日

とりかえしのつかないこと

キンバリーの命日の2日ほど前(6月14日頃),岩見沢の同期の弁護士から電話がありました。
キンバリーの命日が近づいてきて,「会えないかな,岩見沢に来ることはない?」というような用件でした。断りました。
昨年,「理解できないこと」と題して,生前キンバリーと何らかの交流がありながら,一言も言葉のなかった弁護士たちのことを書きました。そのときの気持ちは今も変わっていません。キンバリーが亡くなってしまったあと,そんな人間たちと話す気にはなりません。もう取り返しはつかないのです。

数日前,裁判所のある西11丁目の地下鉄駅の階段を上がって地上に出るとき,前方に他の同期の弁護士が立っているのが見え,僕と目が合いました。僕はとっさに左方向に進路を変えて彼の存在を黙殺しました。僕の内面には,怒りとか嫌悪感とか,特段の感情はわいてきませんでした。ただただ,その彼の存在を認識する時間を極小にしたかったという感じでした。

電話の話をある友人にしました。「ブログを読んでいるはず。それでも電話して来たのはとっても勇気がいったのだと思うな。」 そうとも言えるのかもしれません。

キンバリーの妹のスーは,キンバリーの乳ガンが分かったあと,精密検査をしたところ,極小の乳ガンの腫瘍が発見され,両方の乳房切除の処置を取り,乳房再建手術をして,元気に過ごしいます。キンバリーに命を救われたと,キンバリーへの感謝の気持ちと一緒に生きています。
スーが手術をしたとき,友人たちが食事作りのチームを作り,ローテーションを組んで,スーのために家事を手伝ってくれました。自然発生的に直接は面識のなかった友人の友人も加わって,あっというまに行動を開始したのでした。
日本なら,まず「おせっかいになるんじゃないか。かえって迷惑かも」などといいながら時間だけが経過するというパターンになることが多いような気がします。
何事につけ,行動力の違いを感じさせられることの多いアメリカ人気質とでもいうべきものです。

一番の取り返しのつかないことは,もちろん,キンバリーがいなくなってしまったこと。
キンバリーの大好きだった夏が来て,彩の夏休みが始まり,明日の花火大会に友達と行くのをとても楽しみにしています。キンバリーがいないのが信じられません。
2009年の夏,アメリカからキンバリーの母親と叔母が10日くらい我が家に滞在して楽しい時間を持ちました。あとで聞いたのですが,もうキンバリーと札幌で逢えるのは最後になるだろうと思って,二人で来たのでした。みんなで,豊平川の花火を観に行きました。そのときは,キンバリーは元気に歩けて,母親の方が体調が悪くて,車イスを使っていました。その車イスは東区役所で無料で借りたものでした。そんな風に無料で借りられることに,母親たちはびっくりしていました。「日本って凄いね。」 日本にだっていいとこはある,とそのときは思いました。

最近ずっと繰り返し聴いているパットメセニーです
ラストのビートルズの AND I LOVE HER を聴きながら  

2011年7月25日月曜日

なでしこジャパン~アンガールズ田中~エグザイル

このタイトルでは何のことかさっぱり分からないと思います。先週の日曜日の夜,この順番で泣いてしまいました。

なでしこジャパン
アメリカとの決勝戦を控えて,テレビではこの話題がひっきりなしに出てきました。
アメリカに勝って,ワールドカップ初の優勝になるかどうか・・・隣にキンバリーがいたらなあ・・と思いました。アメリカ人であるキンバリーは当然ながらアメリカを応援するでしょう。僕はとりあえず日本人としてなでしこを応援。両方の国籍を持つ彩はどうするかな・・・「両方応援する」と言うのかな・・・
夜更かしの苦手なキンバリーは生中継を見ることは無理だろうけど,朝起きてきて「どうだった?」と真っ先にきいてきただろうな・・・

そんな風に,彼女とのいろんなやりとりを想像しているうちに涙がこぼれてきました。二度とそんな時間は持てないことを思い知らされて・・・


アンガールズの田中君が,高校時代に母親に冷たい態度を取ったことを,それから10年以上経ってから謝るというシーンがありました。母親もそのときのことをよく覚えていて,彼が「ごめんなさい」と言って,母親が涙ぐむというシーンでした。
彩には,将来,キンバリーにあんな風に謝ったりすることはできないんだな・・・そう思うと涙がでました。

その後,エグザイルの番組があり,杉良太郎がゲストで出ていました。エリチエミと親友だった杉氏の話があり,彼女の代表曲だった「テネシーワルツ」をエグザイルのアツシが唄いました。その歌を聴いたとたん涙がでてきました。
キンバリーの生まれた国アメリカのイメージがこの歌とともに頭のなかに溢れてきました。彼女を通じて感じ取ってきたアメリカの姿が浮かんできて,そこに彼女の思いでが重なって,とても切ない気持ちになって,大泣きしてしまいました。

こんな風に,いつどんなときに涙腺が洪水状態になるか予測がつかない日々が続いています。


PAT METHENY   WHAT’S IT ALL ABOUT  を聴きながら
  1曲目の サウンドオブサイレンスを聴いて,これも涙でした

2011年7月21日木曜日

朝の犬たちとの散歩

今朝は4時半に目が覚め,5時にベッドを抜け出して犬たちの散歩をしてきました。
昨夜は11時にベッドに入り,最近習慣になっている10~15分くらいDVDで映画を観るというお楽しみの後,プレーヤーのスイッチをオフにした次の瞬間には眠っていました。キンバリーにも寝付きの良さには感心されていましたが,映画にも催眠作用があるようで,見始めて10分くらいすると眠たくなります。従って,1本の映画を見終わるのに1週間以上かかることになります。たいていの人は,一度見始めたら最後まで観ないではいられないと言います。キンバリーも同じことを言っていまた。僕はその点全く違います。ある映画を見始めて(ベッドの中ではなく,居間でのこと)30分くらいすると,他のことをしたくなります。たいていは本を読みたくなります。DVDで1時間半から2時間の間映画を観るということに耐えられません。プレーヤーをポーズにして,何冊かの本を音楽を聴きながら読んで,しばらくしてから映画を再スタートさせる,その繰り返しです。特に,本当に面白い映画のときが細切れ頻度が高くなるという傾向があります。こんな面白い映画,一気に見てしまうなんてもったいない,と思うようです。同じ傾向の方がいたらご連絡ください。何もありませんが(笑)

朝の犬たち散歩をしていると,通りかかったアパートの開いた窓から目覚ましの音が聞こえてくることが良くあります。見知らぬ人たちの朝が始まる瞬間に立ち会っているような感じがします。
キンバリーは眠るのが大好きでした。目覚ましが鳴り続けても微動だにしないで眠っていたのを思い出します。

追伸 昨日のブログで「ユルスナールの靴」をちくま文庫としたのは間違いでした。河出文庫でした。

ピンク・フロイド  エコーズを聴きながら

2011年7月20日水曜日

須賀敦子~福永武彦~見つけたらすぐ買えの法則

手元に「須賀敦子全集」(河出書房新社)の第1巻と第2巻があります。
2009年3月28日東京神田神保町のBOHEMIAN’S GUILDという古書店で購入しました。
その日は,家族で八王子市にあるがんの代替医療を行っている病院に行くために27日に二泊三日で上京したのでした。キンバリーはできるだけ強い抗ガン剤を使わずに,身体に優しい治療をすることに決めていたので,僕が見つけたそこの院長の書いた本を頼りに,診察と相談を受けに行ったのでした。
温厚なおじいちゃん先生で(失礼),キンバリーもその先生が気に入って,何カ月後かにもう一度行ったりしました。
 

翌日の28日は浅草に行き,花屋敷で遊んで,プリクラを撮ったりして楽しい時間を過ごしました。
まだ元気だったキンバリー。素敵な笑顔が残っています。

そのあと,神田の古書街に行きたいという僕の希望をきいてくれて,3人でぶらぶらしたのでした。
この古書店でまず目についたのは,福永武彦の「草の花」の単行本の初版でした。福永武彦は大学時代に一時夢中になって読んだ作家で,懐かしさもあって買おうかと思ったのですが,ちょうど夕食の時刻で,その古書店のある通りに自然食のレストランがあったので,そこで食べてから買おうと思い,一度手にとった「草の花」を書棚に戻しました。

食事が終わり40分後くらいに戻って書棚を見ると,なくなっていました。どこを探してもありません。
「古書は,見つけたときに買え」という鉄則をすっかり忘れていました。
がっかりしながら,他の書棚で見つけたのが須賀敦子の2冊の全集でした。

最近,須賀敦子の文章に癒されています。「遠い朝の本たち」「ユルスナールの靴」(いずれもちくま文庫)を読み返しています。「ミラノ 霧の風景」を読んでいます。考え抜かれた簡潔な彼女の文章は読むだけで心地よい。そして,彼女の考え抜いたことの意味をよく味わうとさらに気持ちよくなります。彼女は最愛のイタリア人の夫を結婚後6年足らずで亡くしてしまいます。
その後の彼女の生き方に,これからの僕の人生に対する何らかのヒントのようなものがあるかもしれません。全集は全8巻です。残りの巻を,どこかの古書店で見かけたら,すぐ手にとって放さないことにします。

John Medeski  Billy Martin  Chris Wood
   Notes From The Underground  を聴きながら