2012年3月12日月曜日

高峰秀子「わたしの渡世日記」

新潮文庫の上・下2巻の「わたしの渡世日記」を読み終わりました。
凄い人生を生きたんだなあ・・・と読み終わってしばらくぼんやりとした感覚でした。
1924(大正13)年函館生まれの彼女がこれを書いたのは昭和50年のことで,そのときまでのことしか触れられていないわけですが,その後の彼女の生き方に触れることができるような文章を読みたいと思います。

一本のきっちりとした筋が通った人生を貫いた人だと思います。

スター女優だったから可能だったのでしょうが,谷崎潤一郎・梅原龍三郎など錚々たる人たちとの交流のエピソードも豊富で,黒澤明が助監督時代の恋愛など,興味の尽きない話題もたくさんで,珍しく?わりと一気読みに近い形で読み終わりました。

印象に残ったところを一つだけ。
敗戦直後,現在の東京宝塚劇場はアメリカ進駐軍専用の娯楽施設として接収され,「アーニー・  
パイル」と呼ばれていた。アーニー・パイルはアメリカ軍属の新聞記者で,沖縄に上陸し,彼我の大
激戦の最中に戦死した。どこのだれが東宝劇場を「アーニー・パイル」と命名したかは知らないけれ
ど,沖縄で死んだアーニー・パイルの話を日系のアメリカ人から聞いたとき,私はふっとアメリカ人
の中にある,優しさ,率直さをみたような気がした。日本には人の名前のついた劇場などひとつもな 
い。

ここを読んだとき,僕は彼女のものの見方・人の見方は絶対に信用できると思いました。
こういう感性を持った人が好きです。彼女のいうとおりだと思います。
一人一人の人間に向けた暖かい眼差しを持っているアメリカ人と,えてして,世間とかそういう個人を埋没させるものにむしろ気をつかってしまう日本人との違いを,彼女はこんなことからも見抜いたのだと思います。

彼女の唯一の小津安二郎監督作品「宗方姉妹」を小津安二郎監督全集で探したけどないので,おかしいなと思っていたら,この映画は小津監督の殆どの作品を撮った松竹ではなく,新東宝で撮影したものなので入っていないのでした。アマゾンで購入しました。

生前にもっと彼女のことに関心を持っていたかったと思っています。

ボブ・ディラン フリー・ホイーリングを聴きながら

0 件のコメント:

コメントを投稿