2011年9月30日金曜日

3人の誕生日

今日は,私の母親,キンバリーの母親そして彩のいとこのコール(キンバリーの妹の長男)の誕生日です。3人の誕生日が同じとは,何か縁を感じます。
キンバリーの母親は,僕たち家族の誕生日には必ずカードを贈ってくれていました。彩の誕生日にはプレゼントが航空便で送られてきます。彩が生まれてから初めての父の日にもお祝いのカードを贈ってくれました。ちゃんと you’re first father’s day のための文章が印刷されたカードがアメリカでは売られています。もしかすると,「めでたく離婚が成立した日」を祝うカードもあるのかもしれません。確かめたことはないけれど・・・

母親と違って,キンバリーはいつも,誕生日が過ぎてから,母親に「電話」していました・・・
今日は,彩がアメリカの祖母といとこに電話をかけるでしょう。
日本のおばあちゃんは弟家族と大阪に旅行に行っています。

キンバリーだけがいないのが,奇妙な感じがして仕方ありません。

バーンスタイン指揮のブラームス交響曲第1番を聴きながら

2011年9月28日水曜日

ニューヨーク大停電

2003年8月14日のニューヨーク大停電のつづきです。

車を5番街19丁目付近のレンタカーに返したあと,5番街を北に向かって歩きました。
停電が長引くことで,レストランなどはすべて閉店となったので,食べ物を調達しようと思い,デリカテッセンで中華などを買いました。歩きながら見た光景が忘れられません。道路の「ふた」が開いて,そこから止まってしまった地下鉄の乗客がゾロゾロと地上に出てきました。めったに見ることができない光景でした。

歩いていると,ある店の店頭で,店員が「water 2 dollar」と大声で言っています。通常は1ドルのペットボトルの水を2ドルで売っているのです。便乗値上げ。最近評判のハーバード大学教授マイケル・サンデルが「これから正義の話をしよう」の冒頭部分で,ハリケーンに襲われたあと,同じように便乗値上げがあったことについて触れていますが,それと同じことが起きていました。
「えげつないなあ」と思って見ていると,通りかかった男性が「こういうときにそんな強欲なことをするのは許されない」とその店員に食ってかかって,店員と口論が始まりました。それがどう決着が着いたのかは確認しませんでしたが,その様子も記憶に残っています。

ホテルはワシントンスクエアの北西にある「ワシントンスクエアホテル」でした。グリニッジヴィレッジに近いので,よく使っていたホテルです。97年11月に8月に生まれたばかりの彩を連れてニューヨークに来たときにも泊まったホテルです。
夜8時頃までは明るいので,ワシントンスクエアで食事をして,ホテルの部屋へ。
ところが,部屋には懐中電灯がありません。フロントの担当が懐中電灯をつけて,各部屋に案内してくれるのですが,その後は,真っ暗。ロウソクなどももちろんありません。そこで,ろうそくを探しに僕は外に出て行きました。キンバリーはロウソクがなくても何とかなるよと言っていたのですが,まだ8時過ぎで部屋にいるのは退屈でもあったので,外の様子を見たいということもあって,外に出てみました。
通りは真っ暗ですが,ワシントンスクエア(噴水もある結構大きな公園)の中にいくつかのサーチライトが設置されていました。大停電に乗じた犯罪が起きないように,公園などの危険な場所には警察がサーチライトを設置して明るくしているのでした。
6番街を南に下がりながら,ドラッグストアに入ってロウソクを探しましたが,どこも売り切れ状態。数件回ったあと,ようやく韓国系の人がやっているドラッグストアに2本だけ残っていたのをゲット。地下鉄が止まっているので,歩いて帰宅する人などがたくさん歩いていました。
ホテルに戻って,真っ暗な中でつけたロウソクの明かり,ベッドに座っているキンバリーの姿が浮かんで来ています。
ワシントンスクエアホテルは6階建てくらいの小さなホテルですが,それがラッキーだったのです。
高層ホテルでは電気系統がダウンして,トイレも使えないので,宿泊客は部屋にいられず,外に追い出されるようにされていたのを翌日知りました。ワシントンホテルはトイレも使えて水も出るので,ちゃんと部屋で寝ることができました。

つづく

モーツァルト 弦楽四重奏曲 KV421  ハーゲン弦楽四重奏団 を聴きながら

2011年9月27日火曜日

書くことがなくなってきました

なくなってきたというより、書く気持ちになれないというのが本当のところです。
キンバリーのことばかり書いてしまうのですが、 どうしても悲しい内容になってしまい、書いていて辛くなるばかりです。以前は書くことによって、気持ちが少し落ち着くこともあったのですが、最近はそのような癒し効果がなくなりました。彼女のいないことの空虚感が大きくなるばかりです。

本を読むことが、今の自分の支えです。
思想関係が精神的に癒しになるようです。
純粋理性批判(カント) 論理哲学論考(ウィトゲンシュタイン) レビストロース(悲しき熱帯その他)
柄谷行人。。。

分からないところがたくさんありますが、それが精神的にいいようです。

ユリシーズは196頁まできました。英語の本を読むのもいいようです。

楽しいことを書けるようになりたいです。。。

北海道バンドを聴きながら

2011年9月19日月曜日

悲しい知らせ2

前回から大分日が経ってしまいました。
元ちゃんは,サイモントンのワークショップでの自己紹介のとき,「自分としては僕のガンは治療によって完全に治ったと思っています。」と力強く言っていました。治った人がいるということは,ガンを患っている人にとっては,その存在自体が励ましになるものです。キンバリーもそんな風に感じていたと思います。「自分もきっと・・・」
残念で仕方ありません。

もう一人,気になっている人がいます。
自宅のすぐ近くに住んでいる男性で,犬たちを散歩している朝早く,歩道にしゃがんでたばこを吸っているのですが,犬たちが近づくと「おー来たかい。」と言って,犬たちと遊んでくれるのでした。ペロペロとなめるのが大好きなロイの「口撃」にも平気で,しばしじゃれてから,「またね」と言って別れるのでした。
一度,少し話をしたとき,「僕は肺ガンで,もうそんなに長くないと言われてるんです。だからたばこも気にしないで吸ってます」と,自分がガンであることを伝えてくれました。
そのおじさんの姿が見えなくなって大分経ちます。

あんまり楽しいことを書くことがありません。

先日,キンバリーの親友ダイアンがテープからDVDに落としてくれたのを見ました。99年の7月にハワイに行ったときの様子が写っていました。まだうまく話せない彩。そして,若くてとってもきれいなキンバリー。ビーチで風に運ばれて転がっていった帽子を追いかけて走って行くキンバリー,拾い上げて戻ってくるとき,得意のおどけたポーズをしているキンバリー・・・・

2011年9月6日火曜日

悲しい知らせ

先週土曜日の夜,知人の男性が亡くなったことを知りました。
元ちゃん(げんちゃん)と呼んでいたので,ここでもそう呼ばせていただきます。
元ちゃんに初めて会ったのは,2009年10月にキンバリーと一緒に福島県白河市であったサイモントン療法のセミナーに参加したときでした。JR新白河駅前に会場のホテルへ行くバスが停車していて,僕たちより先に車内に座っていたのが元ちゃんでした。ちょっと目つきが鋭い感じで,第一印象は少し怖い感じでしたが,話してみると,意志のしっかりもった,でもあったかい人でした。元僧侶だったということを聞きました。

彼のことは,また改めて書きたいと思います。
ご冥福を心から祈ります。
キンバリーと逢っていると思います。

2011年9月3日土曜日

そうか,もう君はいないのか

雨の札幌です。
彩と札幌駅に行って,学校用のバックパックを買い,そばを食べて帰ってきました。
彩は,アメリカのテレビドラマ brothers & sistersにはまっています。もう4年くらい前だと思いますが,
アメリカで買ってきたシーズン1のボックスセット。キンバリーも観て面白いと言っていたドラマです。
日本のDVDプレーヤーでは,何か方式が違うため,アメリカで売っているDVDは観られないのが普通ですが(ただし音楽のライヴ映像は観られるのが普通),我が家のプレーヤーは日米両方再生可能です。アメリカで買ったやつなので,当然,日本語字幕はありませんが,彩は何の問題もなく楽しんでいます。それが僕にとっては羨ましいやら悔しいやら。僕も英語に自信がないわけではありませんが,映画やドラマの早口のセリフを完全に聞き取れるかとなると, 残念ながら限界があります。
その点,生まれたときからキンバリーが英語で話しかけ,毎年,アメリカに行って過ごしてきた彩はほぼネイティブの英語力で,僕には勝ち目はありません。ただ,読むことに関しては,まだまだ僕の方がはるかに上です(これもいつか追い越されるのかもしれませんが。いや,追い越してくれないと困るのです)。

今回のタイトルは,さきほど読み終わった 城山三郎氏の書名です(新潮文庫)。
読むのは2回目。単行本で出版されたのが平成20年1月なので,キンバリーの乳ガンが発見され,
1月4日にアメリカで手術を受けて,1月末に札幌に戻ってから,書店で見かけて買って読んだと記憶しています。そのとき,どんな気持ちでこの本を読んだのかは,あまり 記憶していません。ただ,このような内容の本は,キンバリーのことがなければ買わなかっただろうことは間違いありませんが,この書名のようなことになるなんてことは考えてもいなかったと思います。僕は城山氏の作品はほとんど読んだことがなく,氏の愛読者ではまったくありませんでした。

数日前,いつものように朝5時過ぎ頃に目が覚めて,少しぼやっとした頭でベッドの左脇の書棚(寝室のベッドを挟むようにして天井までの書棚があり,本で埋まっています。地震がきたら両側から落ちて来る本の下敷きになって死ぬかもしれないとキンバリーも恐れていました・・・)の本の背表紙を見ていると,城山氏の「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」が目に入り,手にとりました。そして,本の帯びに「そうか,もう君はいないのかの最終章」というような言葉を読んだ瞬間,涙があふれてきました。「そうか,もう君はいないのか」ということばに,激しく動揺したという感じでした。
実は,6 月27日に新潮文庫版を買ってありました。児玉清さんが解説を書いているので,単行本で持っているのですが,それを読みたくて買ってあったのでした。買ったはいいが他の本もあるので読まずに本棚に入れてあったのですが,もしかすると,「早く読んでくれ~」というメッセージが伝わってきたのかもしれません。

城山氏と奥さんの容子さんの出逢いも,奇跡的です。
昭和26年の早春,城山氏が名古屋のある図書館に行ったところ,規定の休館日ではないのに休館。そこに容子さんも来たのが出逢い。容子さんは高校生で, 学校の運動会をさぼったので時間潰しにたまたまその図書館に来たのでした。
少し違いますが,僕とキンバリーとの出逢いとオーバラップしました。

肝臓ガンで亡くなった容子さん。彼女が逝ってから7年後に城山氏も容子さんのところに旅立っていきました。その7年間がどれだけ辛いものだったか,巻末に収録されている娘さんの井上紀子さんによる「父が遺してくれたもの-最後の「黄金の日日」」が伝えてくれます。

二人の子どもが独立したあと,二人で旅行したり,夫婦二人の時間をたくさん持てたことに,ちょっとだけ羨ましい気持ちにさせられました。
お二人はきっとあっちの世界で仲良くしていると思います。僕がキンバリーに逢えるのはいつになるのか・・・

城山氏の作品を読んでみようかと思っています。

King  Crimson   Red    を聴きながら