2011年2月24日木曜日

ULYSSES ユリシーズ

読み始めて途中で挫折して最後まで読めていない本がいくつかあります。
例えば,プルーストの「失われたときを求めて」を集英社文庫の鈴木道彦個人全訳で読み始め,1巻目の途中で中断してしばらく経っています  (最近,岩波文庫と光文社新古典文庫で全訳が出始めているので,再挑戦しようと思っていますが)。

ジェイムス・ジョイスのユリシーズも原書で20頁くらいのところで止まったままでしたが,最近,また最初から読み始めています。今度は最後まで読み切ろうと思っています。20世紀文学の最高傑作とまで言われている小説ですが,あらゆるタイプの文体を駆使してダブリンの一日の時間の流れを描いた英語は,難解で,辞書を引くだけではとうてい太刀打ちできないので,最初から日本語訳や注釈書を横に置いて読んでいます。丸谷才一ほかの全訳(集英社文庫),柳瀬尚紀の部分訳(河出書房),「ユリシーズ」注解(北村富治 洋泉社),「ユリシーズ」の詩学(金井嘉彦 東信堂)などを参照しながらの読解なので時間がかかって仕方ありませんが,面白くなってきています。NAXOSというレーベルから出ているユリシーズの全朗読CDもあり,ときどき朗読の声を聞くのも楽しみ。北村氏の本で, ユリシーズを読むために絶対に参照すべき本として Don Giffod著 Ulysses Annotated が挙げられていたので,早速アマゾンで注文しました。便利な時代です。

手元にあるユリシーズの原書は,1997年の夏にニューヨークのワシントンスクエアの東側にあった書店で購入したものです。 ニューヨーク大学のすぐ近くの書店で, 大手の書店にはない,こじんまりとして品揃えも個性的な素敵な店でした。残念ながら今はなくなってしまい, デリカテッセンになってしまいましたが,キンバリーとニューヨークに行ったときは必ず寄った店でした。キンバリーも本が大好きだったので,今のようにアマゾンなどで簡単に手に入れることができなかった当時は,アメリカに行くたびにたくさんの本を買ってきたものでした。ボストン近郊のケンブリッジに行ったとき,二人して両手いっぱいの本をカウンターに持って行って,店員が大げさなジェスチャーでOh my god.と言ったときのことが昨日のことのように思い出されます。そんな思い出のこもった一冊です。

今回は絶対に最後まで読みきる自信があります。それは,この小説の描いてるのが1904年6月16
日の一日だからです。キンバリーの亡くなったのと同じ日付の一日を描いたものであることに,今年のはじめ頃気がつきました。そして,これを絶対にきちんと読み切りたいと思ったのです。あの日の一日の流れを自分の中で思い返しながら,ユリシーズの世界に入っていくつもりです。

キンバリーに褒められたことがあります。
ウラジーミル・ナボコフの「LOLITA」と「SPEAK,MEMORY」を原書で辞書を引き引き,約2年間かけて通読したのを, 「絶対に私にはそんなことできない。たけしのそういうところ凄い」と言ってくれました。私は英書を読んで辞書を引いたとき,辞書の余白にその本の略号を使って,その単語がある頁を記入します。例えば,Ulyssesの25頁にあった単語であれば,原書のその単語をエンピツで囲み,
辞書の余白に「U25」と書いておくのです。他の本で同じ単語を引いたときは,その下に同じように書き込みます。すると,他の機会に辞書を引いたとき,その単語がどの本のどこで, どのような文章の中で使われていたのかを参照することができます。辞書の表紙に書かれている略号は50個くらいになっています。この読み方はなかなか優れているのではないかと思っています。

キンバリーが今にも事務所の僕の部屋のドアを開けて,入ってくるような気がしてしまいました。
逢いたくてたまりません。

FRANZ FERDINAND    Ulysses を聴きながら

2011年2月17日木曜日

最後の授業

手元に小さな写真アルバムがあります。去年の3月25日。北区にあるはぐくみ保育園での妻の最後のクラスの様子を撮影した25枚の写真を1ページに1枚ずつ印刷して,それをアルバムの形にしてくれました。もうその頃は,頭痛も出るようになり,胃の調子も悪く,体調は良くなかったので,写真の中の妻の表情はあの輝くような笑顔ではなく,やつれたような疲れた表情で,見るのがつらいですが,子どもたちに英語の絵本を表情豊かに読んであげたりてしている姿が,びっくり部屋でのクラスの様子を思い出させてくれます。元気な頃のキンバリーのクラスは笑い声があふれて,見ているだけで楽しくなる時間でした。去年は,4月からびっくり部屋を再開したいと思っていましたが,それは叶いませんでした。保育園が最後のクラスになりました。

びっくり部屋の生徒のお母さんが,まだ乳ガンがわかる前の2006年のクラス風景を撮った写真のアルバムを作ってくれました。ハロウィーンパーティをしたとき,ピエロに扮したキンバリーの姿が写っています。近所の家にお願いしてtric or treat (日本の七夕のようにお菓子をくれないとイタズラするよ,と言って,お菓子をもらって歩く)をしたこと(私が悪魔の扮装をして先頭に立ったこともありました)が思い出されます。

妻は,今はなくなりましたが,HBCの花テレビにコメンテイターのような役割で出ていたことがあり,びっくり部屋のクラス風景が放送されたこともありました。そのときのアナウンサーだった人とひょんなことから知り合いになり,テレビ放送されたものが放送局に残っていたらDVDに落としてもらえないかと頼んだら,ひとつだけ残っていたとのことで,DVDを作ってくれました。北20条のビルの一室を借りてやっていたころのクラス風景で,英語を使って簡単な科学の実験をしている様子などが写っています。わざわざ作ってくれたのを,昨年10月末にアメリカの妻の実家に行くとき持っていくことができ,妻の母親や妹と一緒に見ることができました。ありがとうございました。

そんな妻の姿をもう二度と見ることができないのだと思うと悲しくなります。


STARSHIP  GREATEST HITS  を聴きながら

2011年2月8日火曜日

スターバックス

娘とアメリカから帰って来てから3週間が経ちました。ようやく中学校にも行けるようになりました。帰って来てからしばらくは,精神的にまだ安定せず,時差ぼけで体調もあまり良くなかったのですぐに学校に行くことができなかったのが,何とか行けるようになりました。
早速15日から学年末試験があるということで,かなりハードな毎日になっています。亡妻の病状が悪くなってからほとんど通学できず,6月1日にアメリカに行き,7月に一旦戻り,また10月末頃からアメリカ滞在と,落ち着かない日々が続いていて,勉強どころではありませんでした。
そんな状況での試験は,精神的にも大変です。入学当初から,高校受験を意識させらることを学校に言われているので,自分の将来に対する不安も募っています。何とか協力して乗り越えていくようにしたいと思っています。

もう先月のことですが,函館出張のとき,JR札幌駅の西口のみどりの窓口の近くのスターバックスでカフェラテを注文して待っているときでした,妻とよくスタバで待ち合わせたりしたこと,アメリカに行ったときもよくスタバに行って,「カフェラテは日本の方が美味しいね。水がちがうからかな。」なんて話したこととかを思い出したのだと思いますが, 涙があふれてきました。スタバのようなチェーン店を嫌う人もいるかと思います。せっかく,初めての異国の地に来て気持ちよく歩いていたら,ほとんど世界中同じ雰囲気のスタバに出くわして興ざめしてしまったという経験がないわけではありません。
でも,世界中どこに行っても,そこに行けば妻のことを思い出せる場所,という見方もできるのかもしれません。それと,外国で見知らぬ街に入り込んでしまって,不安な気持ちになっているときにスタバのサインを見たときに感じる安心感というものも経験したことがあります。ニューヨークのタイムズスクエアのスタバには観光客がたくさん入っていました。アメリカの田舎(失礼) から出てきた人たちや外国からの観光客で混雑していましたが,自分の町にもあるスタバに入って,ちょっとホッとしていたのかもしれません。

今は,どこに行っても妻との思い出がよみがえって来てしまい,つい涙ぐんでしまうことが多いので, あまり出歩かないようにしています・・・というわけにも行かず・・・

とにかく,娘と一緒の生活はやはり楽しいです。キンバリーも喜んでいてくれると思います。
でもまだまだ彼女が本当に亡くなってしまったとは信じたくない気持ちがあります。
あの声が笑顔がないなんて,受け入れられない気持ちです。

ブラームス・交響曲第2番 セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘンフィルハーモニーを聴きながら