2012年1月31日火曜日

小澤征爾さんと音楽について話をする~タングルウッドの思い出

最近,評判になっているこの本を読みました。村上春樹とのコラボレーションですが,音楽特にクラシック好きにはたまらなく面白くて,そしてとっても勉強になる一冊です。村上氏がジャズ喫茶マスターだったことは有名で,ジャズ関係の本はいくつも出していますが,クラシックについても実に深く聴き込んでいるということを知りました。
まあ,音楽という大きなくくりで行けば,ジャズもクラシックもロックも,いいものはいいというわけで,僕自身もできるだけ幅広く聴いてきているつもりですが,二人の対話を読み終えて,もっともっと深くクラシックを聴き込みたいと「決意」を新たにしました。

この本の初めのところでは グレン・グールドとレナード・バーンスタインのブラームス作曲ピアノ協奏曲1番が取り上げられて,グールドの演奏のスタイルが本来自分のスタイルとは違うということを演奏前にバーンスタインが聴衆に向かってアナウンスしていることや,カラヤンとベートーヴェンのピアノ協奏曲3番を演奏したのを聴き込んで,そのあと内田光子が弾いたのと聴き比べたりと,実際に聴きながらでないと正確には理解できない話が続いていて,かなりマニアック。僕は取り上げられているCDは一応全部持っているので,改めてじっくり聴きながら二人の対話を味わいたいと思っています。

小澤さんはがんを患ってから体調は万全ではないようで,最近予定されていた指揮を医者の指示もあってキャンセルしたということで心配です。

この本の中で(267~8頁),ブリテン作曲の「戦争レクイエム」を演奏したときに休憩を取ったという話が出てきて,小澤さんは「以前にもどこかで休憩を取った記憶がある,どこだったから思い出せないが,ひょっとしたらタングルウッドだったかもしれない。」と言っているところがあります。

タングルウッドはバーンスタイン,小澤さんとで作り上げてきたと言ってもいい,夏の音楽祭で,札幌のPMFのモデルとなったものですが,キンバリーとの思い出もたくさんある音楽祭です。毎年,夏休みの頃に,キンバリーのアメリカの家族と合流してサマーハウスを借りて過ごすのが恒例になっていました。そして,必ず,タングルウッドにも行っていました。ネットで調べてみると,2006年の8月5日に小澤さんがタングルウッドでマーラーの交響曲2番を演奏しています。そのときに僕たちも聴きに行って,
休憩を取ったと記憶しています。この2番の交響曲については,マーラー自身の指示で第1 楽章の後に少なくとも5分の休憩を入れることとなっているのですが,通常の演奏会では休憩なしで演奏されます。野外コンサートでもあることから,2006年のときには第1楽章の後に休憩を入れたと記憶しています。この本のさっきの発言から,タングルウッドのことを思い出しまた。
野外の広い空間に,シートを敷いて,イスやテーブルを出して,ワインを飲んだり,持ち寄った料理を食べたり,楽しい時間を過ごしました。7月4日の独立記念日のときは,演奏終了後,真っ暗な空に花火が上がって,それを見ながら片づけをして家路に着くのでした。

タングルウッドはクラシックに限りません。
ジェームス・テイラーとキャロル・キングのデュエットにチェロのヨー・ヨー・マが参加するという信じられないくらい豪華な演奏も聴きました。

キンバリーが亡くなってから,タングルウッドに行っていません。
今行ったら,そこにキンバリーがいないことの悲しさだけで胸がいっぱいになってしまうと思います。
いつか,彩と行ける日が来るかもしれませんが・・・

ロリン・マゼール指揮ウィーンフィル  マーラー交響曲9番を聴きながら

2012年1月27日金曜日

キンバリーの三省堂デイリーコンサイス辞典

手元に,三省堂のデイリーコンサイス英和辞典と和英辞典が合冊された辞典があります。キンバリーが愛用していたもので,1991年7月1日発行です。最初の半分が英和辞典,後半が和英辞典。
小口の部分見ると,明らかに和英辞典の部分を何度も引いたのでしょう,手あかで黒くなっています。きっと何度も何度も,分からない日本語を引いていたのだと思います。
ひらがなで「おいらん」という文字が背表紙の内側に書いてあります。
キンバリーは日本の文化にもとても興味を持っていて,ススキノのお祭りのときにやる,花魁道中を見るのが好きでした。一緒に観に行ったことを思い出します。
この辞典の発行された1991年は,キンバリーが北大に留学に来てからそんなに日が経っていないころだと思います。2年間,ボストンの大学で日本語を勉強してから来たのですが,毎日の生活の中で分からない日本語をこの辞典で引き引き生活していたのだと思います。黒くなった部分に,キンバリーの努力している姿が見えてくるような気がします。

この辞典,先日,びっくり部屋に行ったときに見つけました。壁には絵入りのアルファベット文字を書いた紙が順番に張られています。2005年10月にここでびっくり部屋を再開したのでした。その前は,北20条東1丁目にある3階建のビルの2階に部屋を借りて,そこでやっていました。
「びっくり部屋」という名前の由来は,「そこに行くと何かびっくりするような新しい体験ができる場所」というものでした。ちょっとどういうところなのか分かりづらいので,名前を変えたら?と言われたこともありましたが,キンバリーはこの名前が気に入っていたので,変えませんでした。

キンバリーは一戸建ての家に住むのが夢で,真駒内・宮の沢などの中古の家が建っているところを何カ所か見に行ったりしたのですが,なかなかいいところがなく,また,彩が転校することを嫌がっていたこともあって,殆ど諦めていたときに,今の自宅を見つけたのでした。新聞の不動産広告欄を毎日チェックしていたらしく(そのことは知りませんでした),ロケーションがいいのに,何カ月も売れていない物件が気になって,見に行ったところ,そこは1階で「ドッグカフェ」をやっていた家で,1階と2階の両方に大きなキッチンがあるため,普通の家庭には向いていないので売れていないことが分かりました。築3年の家でした。増改築してそこでびっくり部屋をやれるようにするということで購入して,びっくり部屋の部分を増築したのでした。
2009年には体調があまり良くなくて,クラスをすることがなくなったので,約3年間のびっくり部屋になりました。
今びっくり部屋に行くと,子どもたちと楽しくクラスをやっていたときのキンバリーの姿が見えるような気がします。

2012年1月25日水曜日

町内会の新年会~タイガース

22日(日)の午後6時から町内会の新年会に行ってきました。自宅近くの集合場所で北37条付近のホテルのマイクロバスに乗り込んだのは28人。顔見知りの人もいますが,初対面の人が多い。
Tさんが「キンバリーさんの旦那さんです」と紹介してくれました。「お~」というような歓声のような声が・・・キンバリーは僕よりずっと有名でしたが,今もそうです・・・

僕は酒を飲まないので,ウーロン茶で乾杯となったのですが,酒を飲まないということを分かってもらうのにちょっと苦労しました。キンバリーのガンが治るのを祈願して酒を止めたのですが,そのことを説明するのも面倒なので,「飲まないもんで・・・」と曖昧に受け答えしていると,「いかにも飲めそうに見えるんだけどね。」と,体質的に飲めないというような感じになってきたので,そのままにしておきました。

始まって25分くらいで,カラオケタイムになったのにはちょっと驚きました。もう少し話をしてからなのではと思っていたのですが,僕以外はよく知っている関係なので,話というよりカラオケを楽しみにして来ているということが判明。
曲は忘れましたが,ダンスを始める方が出てきて,僕も斜め向いに座っていた熟女(笑) の方に誘われて,ダンスすることになってしまいました。
僕も歌え!ということになり,尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を熱唱(笑)。
最後の方でもう一曲歌え!ということで,沢田研二の「勝手にしやがれ」を。
ウェーブをする女性が数人・・・

ジュリーといえば,タイガースの再結成ライヴがあったと新聞で読みました。写真ではジュリーもかなり太ってしまったようですが,70歳の女性ファンの方の感想もあったりして,青春の思い出としてタイガースを心の糧にしている方がたくさんいるのだと分かりました。

僕の小学6年生の頃はグループサウンズの全盛期でした。赤松愛のオックス,カーナビーツ,
テンプターズ, ゴールズンカップス・・・ジャガーズのキサナドゥの伝説だったかな,この曲が好きでした。その曲がアメリカの曲のカヴァーだとは知らず・・・

新年会では,キンバリーのことが話題になりました。一度しか会っていない女性も, 「元気一杯で明るくて,これからいろいろと交流できると楽しみにしていたのよ」などと言ってくれました。
今朝,びっくり部屋の教室に行ったとき,2008年から9年にかけてのアメリカの大学院の勉強スケジュールについてのファックスに気がつきました。見ているうちに彼女の文字がぼやけてきました。

ヴィヴァルディを聴きながら

2012年1月16日月曜日

町内会~キンバリーの思い出

最近は,町内会というのがどうなっているのか良く分かりませんが,僕の自宅付近の町内会は「それなりに」活動しています。キンバリーと町内会のかかわりについて書いてみます。

今朝,町内会長の奥さんと電話で話をしました。今度の日曜日に町内会全体の新年会が某ホテルで行われることになっていて,私は回覧板の案内に出席するといういことで回答していたのですが,僕の下の名前の方が読めないということで,その確認の電話でした。町内会の新年会に参加するのは人生において初めてのことです。「おひとりさま」になってしまったので,町内の人と少しは面識をもっていないと万が一のときに心配になって・・・というのは冗談ですが(半分くらい本気(笑)),出席する気持ちになったのは,キンバリーのことを思ってでした。

町内会の奥さんが言っていましたが,キンバリーは近所つきあいを大事にしたいと思っていて,町内会の役員にもなったりして,とても積極的に活動していました。今の自宅に移って初めての冬のことでした。自宅が中通にあり,市の除雪が入らないため,雪解け時期になるとシャーベット状になった雪のために車のタイヤが空回りしてしまい,抜け出せなくて大変な目に会ったので,キンバリーは中通沿いの人たちがお金を出し合って除雪を頼むべきだと考えて,町内会の奥さんのところに「ねえねえ,Tさん,皆で協力して除雪しましょうよ」と言いに来たことがあったそうです。今朝の電話で「キンバリーさんは日本人以上に日本人的だったですね」と言われたので,思わず僕は「日本人には彼女のような人はいませんよ」と言っていました。同じようなやりとりが他にもあったことは,以前このブログに書いたことがありますが,彼女のように近所付き合いを大事にしようと考え,そしてそれを実行に移すような人は,
今の日本にはあまりいないと思います(少なくとも,札幌の僕の知っている範囲にはいません)。
「町内の人を誘ってバーベキューとかしたいね」と言っていたキンバリーでしたが,残念ながらそんな機会をもつことはできませんでした。

会長の奥さんのところに行って話し込んでいるキンバリーの姿が思い浮かんで,電話で話ながら涙ぐんでしまいました。新年会で,キンバリーのことをいろいろと話したいと思っています。きっと泣いてしまうでしょうが,なかなかキンバリーのことを話せる相手がいないので,少し楽しみにしています。

マーラー交響曲第9番     ジュゼッペ・シノポリ指揮フィルハーモニー交響楽団  を聴きながら

2012年1月13日金曜日

高峰秀子のエッセイ

高峰秀子の「にんげんのおへそ」(新潮文庫)を読みました。久しぶりに素敵なエッセイを読んだという感じです。同じときに文庫化されて出た「私の渡世日記」上・下も読む予定です。
5歳から映画界に入り,小学校に数十日しか行っていないというのに,その文章のうまいこと!技術的に上手いというより,彼女の人間性が実に的確な表現で文章に現れているという感じで ,文才とはこういう人のことをいうのだなあ・・・と感じ入りました。

高峰さんは,成瀬巳喜男の映画 「流れる」「女が階段を上るとき」「めし」「浮雲」その他で観ていて,とても好きな女優です。ただ代表作の一つである「二十四の瞳」を観ていないという恥ずかしい状態なので,近いうちに観たいと思っています。
彼女の本を読みたいと思ったのは,昨年12月に函館の裁判に行くとき,札幌駅の本屋に立ち寄ったとき,彼女を特集している「芸術新潮」を買ったのがきっかけでした。彼女は函館生まれで,母親を亡くし,
5歳頃から養母に引き取られて東京の鴬谷で生活するようになったのですが,その養母という人がとんでもない人で, スター女優となった高峰さんの収入を吸い取って生きたような人でした。その人の浪費の仕方も物凄いものがあります。

文筆業で生活できたらいいなあ・・・と思います。そうすれば,アメリカで彩と一緒に暮らすことができるのに・・・ニューヨークに住んで,早朝から午前中は執筆,その後は美術館・書店巡り,夜は音楽・芝居・・・
妄想が膨らんできます・・・

The Flying Burrito Bros   ANTHOLOGY 1969-1972  を聴きながら

2012年1月12日木曜日

DM ダイレクトメール

ときどき,キンバリー宛のダイレクトメールが届きます。英語クラスの教材関連・デパートなどのセールの案内・化粧品会社etc

連絡しないかぎり,これからもずっとこういうダイレクトメールは来続けるのでしょう。僕のような状況になったとき,他の人はどうしているのかなと思います。連絡して今後は送らないように伝えるのでしょうか。
そんな気にも なれないため,今までずっと来ているのですが,宛て名を見るときに感じる,言いようのない哀しみのことを考えると,いつまでも続くのに耐えられなくなるときが来るのかもしれません。

司法研修所の同じクラスだった東京の弁護士からキンバリーの名前も併記された年賀状が来たので,メールで事情を伝えました。ときどき, 彼女が亡くなったことを知らない,久しぶりの知人からの手紙などが来ることがあり,そんなときは,連絡をするようにしています。

2012年1月9日月曜日

カントリーミュージック

事務所に来て,何か普段聴いていない音楽にしようと思って,いろいろ探してみたら,George Strait のTroubadour (吟遊詩人)が目についたので,かけています。2008年に出た比較的新しいCDで,その頃,
最近のカントリーミュージックは昔とはかなり違って来ているという話を聞いて,タワーレコードで数枚買ったことがあるのを思い出しました。買ったものの,あまり聴いていませんでした。

カントリーミュージックはアメリカをドライヴしながら聴くのが最高だと思います。
キンバリーとドライヴしたとき,ラジオからカントリーミュージックが流れて来て,アメリカにいるんだという実感がじわじわと沸き上がってきたのを思い出します。音楽にはいろいろな種類がありますが, その音楽が生まれた場所で聴くのが一番その音楽にふさわしいと感じられる音楽があると思います。カントリーはそんな音楽のひとつかもしれません。

でも,札幌の冬にかかっているカントリーから,想いはアメリカに飛んで行って,キンバリーといつか行きたいねと言っていたナッシュビルのことが浮かんできていますから,どこで聴いてもいい音楽はいい!
ナッシュビルとカントリーといえば,クリント・イーストウッド監督・主演の「センチメンタル・アドヴェンチャー」Honkytonk man が浮かんできます。東京時代,池袋の文芸座で観て,ボロボロと泣いてしまった映画です。結核で最初で最後の録音をしながら血を吐いて亡くなってしまうカントリーシンガーをイーストウッドが演じています。息子のカイルとの初共演だったと記憶していますが,カイルはジャズベーシストとして何枚かアルバムも出しているミュージシャンになっています。
この映画の中のイーストウッドは,実は冒頭の登場シーンから死んでいて,幽霊となって甥ッ子のカイルを一人前の大人にするために彼をナッシュビルまでの旅に連れ出したんだ・・・というのが僕の解釈です。

彩から学校の宿題で書いた,読書感想文が2つメールで送られてきました。
3つの質問に答えることが求められています。

①主人公のキャラクターについて,いつどこでストーリーが展開するかとともに説明せよ。
②主人公・ストーリーを通じて,作者が生きていくということについて伝えようとしているテーマ・メ  
ッセージについて述べよ。テーマについては,この本を通じて,私たちが人生について何を学  
ぶことができるかという観点から述べること。
③上記テーマやメッセージとあなた自身の人生とのつながりについて,具体的な例を挙げて説 
明せよ。



一読して,ぼくがこれだけのことを書くのには相当時間がかかるし,英文もこんなに「英語らしく」 
は書けないないなあ・・・と嬉しい驚きでした。いつの間にこんなに書けるようになっていたのか・・・
ちょっと悔しい気持ちもあるので,書く英語に本気で取り組もうと思っています。

日本語のことが心配で,漱石読んでるかい?とかつい言ってしまい「今はこっちの学校に追いつ
くのに大変なんだから,もう少し待ってよ!」と嫌がられています・・・


    

2012年1月7日土曜日

ソラリス

ポーランドの作家,スタニスワフ・レムの「ソラリス」を読み終わりました。
沼野充義が初めてポーランド語の原典から翻訳したものです。これまでに出ているものは,ポーランド語からロシア語に翻訳されたものからの日本語訳だったため,ロシアでの検閲で削除されたような部分がかなりあったということです。かなり長くて,並行読書のためもあり,読み終わるのに時間がかかりましたが,面白かったです。

ソラリスはこれまでにタルコフスキーやソダーバーグらによって映画化されています。
その影響でしょうが,亡くなった恋人とうり二つの女性が,その名前を名乗って主人公ケヴィンの前に現れるという設定を,ロマンティックなストーリーなんだと思いながら読み進めるとその期待は大きく裏切られました。この小説は,人間側の作った基準からは絶対に理解も了解もできない存在との遭遇がテーマで,これをロマンティックな物語として映像化した二人の監督に対して,レム自身は非常に不満で批判的だったようです。

確かに作者の意図はそうなのでしょうが,僕はロマンティックな読み方もいいと思っています。
ソラリスに行って,キンバリーに出逢いたい・・・そう思うのは病的でしょうか・・・

夫の仕事の関係でスイスに在住している,キンバリーとの共通の知人からメールがきました。
空港でのことですが,キンバリーのこともよく知っている息子さんが「あっ,キンバリーだ! 」と思わず叫んだほど,キンバリーに顔も・服装もそっくりな女性を目撃したというのです。亡くなったというのは間違いで,実は外国に住んでいたんだ・・・と思うほどよく似た女性だったようです。

もしそこに僕がいたらどうしただろうか・・・
キンバリー本人であることは絶対にあり得ない,でも,どう見てもキンバリーがそこにいるとしか思えないような女性に出逢ったら・・・・
声をかけずにはいられないと思います。きっと,迷惑がられるでしょうが・・・
世界には自分と瓜二つの人が一人はいるといわれます。その女性はその一人だったのかもしれません。いつか出逢うことがあるかもしれない・・・

ジミ・ヘンドリックス   未発表デモテープ集を聴きながら

2012年1月6日金曜日

ぎっくり腰

新年早々ぎっくり腰をやってしまい,昨日は一日寝ていました。ようやく鎮痛剤を飲めば動けるようになっています。駐車場に停めてあった車に戻ったとき,前輪のあたりに凍った雪が溜まっていたのを足で落とそうと蹴ったところ,腰に違和感が走り「あっやばい」と思ったときは既に遅く,ようやく運転して帰ってきました。ぎっくり腰になったのはこれで4回目です。
初めては,彩が小学3年の頃でしたが,運動会で綱引きをした後でした。キンバリーも一緒に一生懸命綱引きしたときで,少し時間が経ってから発症して大変な目にあいました。キンバリーはぎっくり腰の経験はありませんでした。

ということで,あまり幸先の良くないスタートですが,この後はスムーズに時間が流れるように願いたいところです。
では

2012年1月1日日曜日

新年おめでとうございます

大晦日は,夜9時40分上映のNew Year's Eve を観てきました。結構広い館内に観客は10名くらいでしょうか,一人で観ていたのは僕だけでした。
タイムズスクエアのカウントダウンでボールを落とすのですが,2009年から2010年にかけてのときに,リサの別荘でキンバリーや彩と一緒にテレビで観ていたことを思い出していました。最後の新年になるとは夢にも思っておらず,ノートに「来年も来れたらいいね」と書いていたキンバリーでした。

映画は予想通り?たいしたことはありませんでしたが(クリスマス直前のさまざまな人間模様を描いたラヴ・アクチュアリーの方が数倍良い出来です) ニューヨークの懐かしい場所がいくつも出てきて,楽しめました。ラストの方で,Stardust という店が出てきましたが,ここはブロードウェイを目指す役者たちがウェイター・ウェイトレスをしている店で,食事や飲み物を運んだりしながら,唄いだすのです。それもさすがブロードウェイを目指すだけあって,とっても上手で,初めて聴いたときは,てっきりレコードか何かを流していると思いました。まだキンバリーのガンが分かる前の新年に,ボストン在住のキンバリーの幼なじみで親友のパムとその娘と一緒に行ったのが初めてでした。

正月という気分はまったくなく,いつもと同じく,朝起きて,味噌汁を作って,朝食後は音楽を聴きながらユリシーズその他の読書。
キンバリーのいない世界は,色のない,無味乾燥な日常が続くような感じです。

何か明るいことを書けるような年になれればいいのですが。


今年もよろしくお願いいたします。