2011年11月29日火曜日

ニューヨークから札幌へ

ニューヨークから戻ってきました。

娘とリサのマンションの前でハグをしてイエローキャブに乗り込み,JFKへ向いながら,しばらくは逢えない彩のことを考えながら,遠ざかって行くエンパイアーステートビルやクライスラービルを見ながら,キンバリーとニューヨークの思い出でに浸っていました。この時期にしては暖かいニューヨークでした。
これから日本に帰って一人の生活が始まることを考えて暗い気持ちで空港に着き(運転手がターミナルを間違えて余計な1周をしてANAの入っている7番ターミナルに到着)チェックイン手続きのときに,
ちょっとだけラッキーなことがありました。ヒスパニック系の男性係員が,「530ドルでビジネスクラスにアップグレードできますが」ときいてきたのです。一ドル78円として4万円と少し。それでビジネスは超お得ということですかさず I’ll take it.
ビジネスは,昨年の6月1日にキンバリーと最後のアメリカ行きをしたとき以来でした。
エコノミーとは「天国と地獄」くらいの差があります。完全にフラットになる座席なのでぐっすりと眠ることができました。ヘッドホンは「ノイズキャンセリング機能」がついたもの。先日,ルフトハンザでヨーロッパに行った友人によると,そちらはファーストクラスだけがノイズキャンセリング付きだったとのことです。
そして,さすがは日本の航空会社だと思ったのは,トイレがウォシュレットだったことです。

冷えきった自宅に着き,切ってあったボイラーのスイッチを入れて,何日かぶりの日本のテレビをぼんやりと見ていました。彩もいなくなって,一人になったんだなあ・・・

先日,2匹いる犬のうち,ロイ(フラットコーテッドレトリーバー)の貰い手が見つかったので,連れて行ってきました。キンバリーが札幌ファクトリーのペットショップで一目惚れして生後3ヶ月くらいで我が家にやってきたロイ。新しい飼い主は,最近老衰で10年以上一緒にいた愛犬を亡くした方で,一緒に寝ていますとその後連絡があったくらい大事にしてくれる方で,ロイにとっても幸せだったと思います。さよならをするとき,僕の方を見て,「どうして行っちゃうの?これって何?」というような目で僕を見ていたロイも,きっと幸せな日々を送っていると思います。
1匹残ったライ(ビーグル)の貰い手も探しています。どなたかいたらご連絡ください。

ビル・エバァンス   パリコンサートvol 2を聴きながら

2011年11月21日月曜日

ニューヨークから

18日に彩と二人でニューヨークに来ています。彩がコネチカット州ウェストハートフォードの叔母(キンバリーの妹)の所で暮らすことに急遽決まり、急いでやってきました。札幌よりずっと暖かいニューヨークです。
グリニッジヴィレッジにあるキンバリーの親友リサのマンションに滞在。ここは、95年に出逢ったあとニューヨークに戻ったキンバリーが間借りしていたところで、僕が逢いに来たときに滞在したところで、わが家のような場所。
いつものように、近くのユニオンスクエアにある書店に行って本を買ったり、ブラブラと散歩して、しばらく逢えなくなる娘との時間を過ごしています。昨夜は、ビレッジバンガードに初めて彩と行ってきました。
こちらで生活しながら、母親を亡くした精神的ダメージを克服してほしいと思っています。

2011年11月11日金曜日

きままにクラシック~ブラームス交響曲第4番

NHK-FM で「きままにクラシック」という番組があって,月曜日の朝と金曜日の午後に放送されています。月曜日の方が再放送だったと思いますが,笑福亭笑瓶とソプラノ歌手の幸田浩子さんが進行役をやっていて,なかなか人気のある番組で,月曜日の朝によく聴いていますが,先週は金曜日に車の運転中に聴いていました。

番組の中にイントロクイズのコーナーがあります。クラシックの曲の冒頭部分をほんの少しだけ流して,その曲名を当てるというものです。
先週はブラームスの交響曲第4番でした。ラジオをつけたとき,その第1楽章が演奏中でした。それがとても良い演奏で,指揮者・オケは誰かな?と思っていると,「ただいまの演奏はクラウディオ・アバード指揮ベルリン・フィルハーモニーでした。」と紹介。「アバードのブラームスってこんなに良かったのか」と感心していると,この曲名を当てた人のハガキの内容が紹介されました。

新婚時代のことです。自宅に風呂がなかったので,妻と一緒に銭湯に行っていました。そして,私 
が支度ができたとき,口笛でこの曲を吹いて妻に知らせるのが私たちのいつもの習慣でした。


「へぇー,ブラームスの交響曲を口笛で吹いて合図にするなんて凄いなあ・・・」と思って聴いていると,
妻は亡くなってしまいましたが,この曲を聴くとあのころを思い出します。

と続いて,その瞬間,涙があふれて来ました。

それ以上のエピソードなどは紹介されませんでしたが,その方がどんなに悲しみにくれたかを想像して,悲しくて仕方ありませんでした。

キンバリーと音楽の思い出もたくさんあります。いつか書きたいと思います。

ハイドン 交響曲「オックスフォード」 チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルハーモニーを聴きながら

2011年11月6日日曜日

和田 誠~五・七・五交遊録

和田誠の「五・七・五交遊録」(白水社)を読みました。俳句を通した友人たちとの交遊についての文章がおさめられていて,気楽に楽しく読ませてもらいました。
俳句はHaiku としてアメリカなどでも結構盛んに作られていて,大きな書店に行くとコーナーがあったりします。読んでみると面白いです。いつか,ブログで紹介したいと思います。

和田誠氏は,村上春樹の本の装幀や挿絵で親しみのある人でしたが,俳句もやっていて,その関連の本もたくさん出していることを,この本を読んで知りました。紀伊国屋札幌本店の俳句・短歌・詩のコーナーはよくチェックに行くようにしていますが,6月にこの本が新刊で発売されたときに購入したのです。
並行読書なので, 読み終わるのに時間がかかりました。

僕は谷川俊太郎の詩が大好きで,大学時代から継続して彼の詩は読んでいますが( 東京での司法試験浪人時代に彼の「日々の地図」という詩集に心が救われたことがあります。),俳句・短歌という形式にはあまりなじみがありませんでした。詩よりも何だか作りやすいような気がしましたが,実際にはなかなか難しいと思います。

 この本の最後に,句会で「日傘」という席題が出たときの句があります。

    夢の中なれば母若くして日傘

  僕にも一つだけ「日傘」の句があります。


       遠目にも  想ゆる女性(ひと) の日傘かな


        東京の下宿の窓から,暑い夏の日ぼんやりと遠くを見ていると,はるか彼方に日傘を手にした女
   性がこちらに向かって歩いて来る。待ち焦がれた愛する女性が・・・顔は見えないけれど,日傘から
   その女性だと分かる・・・


       というイメージを詠んだものです。
      実際には,恋人などいなくて,「きっといつか出逢うひとがこの日本のどこかにいる」などと少し恥ずかしいくらいロマンチックな気持ちになっていたように思います。

      そのころは,まさかアメリカ人女性と出逢うことになるなどとは夢にも思っていませんでした。
     
      部屋があまりにも乱雑になってきたので,ちょっと整理をしていたら,キンバリーの2007年のスケジ
   ュールノートが出てきました。びっくり部屋のクラスのスケジュールなどが書いてありました・・・
      キンバリーが残した, 彼女が生きていた証のような品々に,思いがけずに出逢うことがあります。
   スーパーのレシート,高速道路の領収書・・・・日付や買った物を見ながら,キンバリーがそのときどうしていたのか,何を料理したのかなとか,車の運転をして料金所で料金を支払って領収書を受け取っている姿などが目に浮かんできます。彼女がいたということだけで,どんなに幸せだったのか・・今更ながら思い知らされています。

   モーツァルト 交響曲40番   チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルを聴きながら

2011年11月2日水曜日

ニューヨーク大停電(その後)

既に書いたことがあるかもしれませんが,調べるのも面倒なので( すみません),ワシントンスクエアホテルから真っ暗なグリニッジヴィレッジに一人出て行ったところから書きます。

まだ時間は夜の10時くらいで,寝るのも早すぎるので,一人で外の様子を見に行くことにしました。キンバリーは「危ないかもしれないから気をつけて」と言ってくれました。僕は予定していたライヴが停電の中では不可能だということで,すべて中止になっていたのは分かっていましたが,きっとどこかで音楽に出逢えると信じて,南に向かって歩き始めました。ボブ・ディランがニューヨークに出てきて初めて演奏したライブハウスなどが並んでいるブリーカーストリートに向かいました。ブリーカーストリートはサイモンとガーファンクルやフレッド・ニールなども歌にしている,特にフォークミュージックの世界では有名な通りです。

しかし,ブリーカーストリートは真っ暗で,どのライヴハウスも閉まっています。
6番街にあるブルーノートにも行ってみましたが,当然のようにクローズ。電気なしでは店内は真っ暗で,マイクなどの機器も使えないのでライヴは成り立たないし,冷蔵庫なども使えないとあっては,料理も作れない・・・しばらく歩き回ってみましたが,どこもやっていない。諦めかけたとき,どこからかサックスの音が流れてくるではありませんか。その音に向かって,少し風の出てきたビレッジを歩いて行くと,半地下のようになっている店に行き当たりました。少し曇ったガラス窓を通して,中に人がいるのが見えました。入って行くと,アルトサックス・ドラムス・生ギター・ヴォーカルの演奏中。明かりは店内のあちこちに立てられているロウソクだけ。入って行くとバーテンの男性がHiと声をかけてきて,僕はカウンターに座ってビール(確かサミュエルアダムズだった)を注文。バーテンは「冷蔵庫がとまってるので半額でいいよ」と言って,ボトルを僕の目の前に置いてくれました。ちゃんと冷えてるビールでした。

客は僕を入れて10人もいませんでした。アコースティックな雰囲気で,ジャズっぽい,でもちょっとフォークっぽい演奏が,ロウソクだけの薄暗い店内で続きました。忘れられない一夜でした。

後日談ですが,同じ年(2003年)の12月にニューヨークに行った際に,その店に行ってみると,閉店していました。ニューヨークで店が変わってしまうことは良くある話ですが,とっても残念でした。

予定が変わり,8月15日はニューヨーク郊外のキンバリーの叔母の家に泊まり,16日発の飛行機で日本に戻って来ました。叔母からのプレンゼントということでTシャツをもらいました。大停電の翌日の15日に売られていたものですが,こうプリントされています

        I SURVIVED HISTORICAL 

BLACKOUT
         (ここにニューヨークの摩天楼のシルエット)
NEW YORK CITY 
AUGUST 14TH ,2003


電気の通っているどこかで,「これはチャンスだ」とTシャツをせっせっと作っている人間がいたんだなあ・・・とあきれるやら感心するやら・・・

   キンバリーと,あのときのことを思い出しながら話ができたらどんなに楽しいか・・・
   最近,以前にも増して,iPadに入っている彼女の写真を見ています。逢いたくてたまりません。


Cyrus  Chestnut(p) Blessed Quietness    を聴きながら

       (結婚して間もなくの頃,ボストンで彼女と一緒に聴いたジャズ・ピアニストです)