2011年4月28日木曜日

ゴールデンウィーク2011

去年の5月5日の子どもの日に自宅のデッキで撮影したビデオが残っています。
テーブルを出して,地理の勉強で彩が世界の国名を覚えるのをキンバリーが手伝っている様子が写っています。
桜の木が一本あるのですが,まだ蕾です。
「アルゼンチン・ペルー・・・」白地図を見ながら国名を挙げていく彩,合っていたら「ウン」と答えているキンバリー。
そのときはキンバリーの頭痛も小康状態だったので,家族の時間が持てたのでした。

僕の財布の中にはたくさんのポイントカードが入っています。「主夫」?としては当然のことだと思いますが,彩には財布が膨らんでみっともないと言われています。その中に札幌駅の地下街にある「おきなわや」という沖縄料理のポイントカードもあって,さっき見てみたら去年の5月5日に行っていることが分かりました。夕食をそこで食べたのでした。

ことしのゴールデンウィークは彩と二人です。
ビデオに写っているキンバリーの姿を見ていると,彼女がもういないということが本当に本当なのか分からなくなるような感覚になることがあります。ビデオも写真も,直接彼女に触れることはできません。当たり前のことですが,当たり前に思えないのです。そんな話をすると,彩に「お父さん大丈夫? 」と言われます。大丈夫なんでしょうか・・・

キング・クリムゾン 21世紀のスキゾイドマンを聴きながら

2011年4月27日水曜日

最後の映画~夫婦50割

手元にシネマフロンティアの半券があります。
去年の4月22日の「ゴッドファーザー」 24日の「アリス・イン・ワンダーランド」

ゴッドファーザーはアメリカ映画史に残る傑作だと思っていますが,キンバリーはマフィア映画は好きではないということで,観たことはありませんでした。僕も,この映画が封切られたときは,あまり興味が持てなくて観ていませんでした。その後,DVDでパート3までボックスセットで購入して,何度か観ていましたが,映画館で観たことはありませんでした。そんなとき,シネマフロンティアで一日に1回だけ昔の映画を上映する企画の中でこの映画が上映されたので,キンバリーを誘ったのでした。
見終わって「こんないい映画だとは思っていなかった。」と言っていました。

監督のコッポラは,サンフランシスコの北にあるナパヴァレーにワイナリーを持っていて,1999年の夏,キンバリーの家族がみんな集まって一軒家を借りて過ごしたとき訪問しました。彼の映画の博物館のようになっていて,「タッカー」で使われた自動車とか,いろいろな小道具が陳列されていたのを思い出します。彼の名前の入ったワイングラスを買って,しばらく使っていました。

ゴッドファーザーが彼女と最後に観た映画だと思い込んでいました。ところが,ある日,5年ダイアリーを開いてみたら,アリスの半券が3枚挟んであったのです。娘の彩と3人で観に行き,混んでいたので前から3列目の席で3Dのメガネをかけて観たのでした。とても楽しそうに観ていた彼女を思い出します。

最後に二人で観た映画としてゴッドファーザーは永遠に残ります。


アリスの半券に「夫婦50割」と印刷されています。僕が50歳になってからは,これで割安で観られるのをいつも利用していました。もう「夫婦50割」で観ることもないんだなあ・・・とこの印刷文字をじっと見ていました。

テレビで3月29日に録音したというスーちゃんのメッセージを聴きました。
穏やかな声でしたね。

シベリウス 交響曲第2番(コリン・デイビス指揮ロンドン交響楽団)を聴きながら

2011年4月22日金曜日

田中好子さん スーちゃん

元キャンディーズのスーちゃんが乳ガンでなくなったことをニュースで知りました。昭和31年生まれの55歳。僕と同じ年だったんですね。とても,とても悲しいです。

早稲田大学に入学した1975年はキャンディーズの全盛期で,僕は法学部英語会というサークルに入ったのですが,部室のカセットレコーダーで「年下の男の子」が流れていたことをよく覚えています。1号館地下の暗い部室に響いていた彼女たちの歌声がちょっとミスマッチで,余計に印象に残っています。ネットで調べたら,ミキちゃんも僕と同じ年齢なんですね。大学4年のときに解散したキャンディーズは,同時代を共有した忘れられない存在です。実は,解散コンサートのdvd持っています。山口百恵も持っています。

なんて残酷なことかと思います。

キンバリーと逢っていると信じています。

キャット・スティーブンスを聴きながら

2011年4月21日木曜日

1972年

車で移動中には,FMラジオかCDを聴いています。
3日くらい前のことですが,車のコンソールボックスに入っていたCDを何気なくかけました。
グラス・ルーツの「恋は二人のハーモニー」から始まる1972年のヒットソングを集めたCDでした。
スリードッグナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」が2曲目で,当時,大好きだったので懐かしいなあという感じで聴いていました(ちなみに,1975年に大学で東京に行き,初めて武道館でライヴを聴いたのがスリードッグナイトでした)。3曲目はニルソンの「Without you」これはシングル盤で買って,何度も聴いた曲です。4曲目はニューシーカーズの「愛するハーモニー」。

そして5曲目にかかったのが Cat Stevens の Morning Has Broken(雨にぬれた朝)。

あの朝のことがあざやかに蘇ってきました。妻が亡くなったあの朝。
僕と娘とで彼女の身体をきれいにしてローションをぬってあげて,服を着せてあげたあと,妻の母親が彼女の眠っている部屋に来ました。ベッドの上で彼女を抱き抱えて,彼女に声をかけながら泣いていました。そのとき,僕はこの曲をかけたのです。天国に旅立っていく彼女の初めての朝に初めて聴かけせてあげる曲はこの曲しかないと思って。

Morning has broken
Like the first morning
Blackbird has spoken
Like the first bird

Praise for the singing
Praise for the morning
Praise for them springing
Fresh from the world

母親と一緒に彼女を抱き抱えたときの感触がそのまま,この曲と一緒に感じられました。

このCDの最期の曲はドン・マクリーンのアメリカンパイでした。
キンバリーの大好きだったこの2曲が同じ1972年の曲だったことに初めて気がつきました。

2011年4月19日火曜日

ジム・キャリー

前回の2つ目のジョークで「全身」が「前進」になっていました。お詫びして訂正します。
アメリカ大統領はクリントンやオバマと弁護士出身が多く,もしかすると,こんなジョークを読んで笑っているのかもしれません。いや絶対読んでいるはずです。

ジム・キャリー主演の映画に,彼が弁護士の設定のがあって,英語の冒頭で彼の子どもが学校の先生か誰かに父親の職業を訊かれるシーンがありました。小さい子どもなのでまだ舌足らずで, 「Lawyer」と言ったつもりが「liar」(嘘つき)に聞こえるような発音になって,それを聞いた先生が
「あー,弁護士なのね」と答えるというオチでした。

ジム・キャリー 僕はわりと好きです。キンバリーはいまいちと言っていましたが。
先日観た「イエスマン」も面白かった。

マレイ・ペライア(ピアノ)  ベートーヴェン ピアノソナタ第2番を聴きながら

2011年4月18日月曜日

アメリカの弁護士ジョーク つづき

1  列車にロシア人・キューバ人・アメリカ人そして一人の弁護士が乗り合わせ,自分の国の自慢  
  話が始まった。
   ロシア人  わが国には最高級のウォッカがいくらでもあるのでいらくでも飲める。
   そう言って,飲みかけの最高級ウォッカのビンを窓から放り投げた。

   キューバ人 わが国には最高級の葉巻がいくらでもある。そう言って,ほんのちょっと吸いかけ    
   た最高級葉巻を窓から放り投げた。

   するとアメリカ人が立ち上がり,窓を開けてそばにいた弁護士を放り投げた。

2 マークはひどい交通渋滞に巻き込まれ,もう30分も動かない状態になっていた。
  そこに,一人の少年がスケートボードに乗って渋滞している車の間を縫って彼の方にやってき 
 た。「君。何でこんなに渋滞してるんだ?」
 「頭のおかしくなった弁護士のせいですよ。路上に寝ころがって,前進にガソリンを浴びて,火をつけるぞと大声で叫んでいるんです。それで彼のために何かできないかと僕が回っているんです。何か寄付しますか?」
 「いくら集まったんだい?」マークが尋ねました。すると,少年が答えた。
 「えーと,マッチ箱30個くらいとライター23個だよ。」


こんなジョークが手元にある本に120ページにわたって集められています。

この本 The Best Lawyer Jokes は,7~8年前にニューヨークで買ったものです。キンバリーにも読んで聞かせてあげて,笑っていました。

ときどき英語を使う仕事があります。キンバリーが生きていたときは,彼女に手伝ってもらっていました。英語の文書を書くのは,正直大変に難しい。私の英文をそのまま使ったら,とても弁護士の書いた文章とは思ってもらえいないでしょう。
昨日,キンバリーの親友のアメリカ人女性のところに行って,英文チェックをしてもらってきました。
キンバリーがいないんだということを実感させられました。その女性はキンバリーより1歳下でしたが,12月22日生まれでキンバリーと同じす。去年6月1日,病院前を出発したときただ一人ハグしてくれた大の仲良しでした。
また,英文を書いたり,ノンネイティブには分かりづらい英文が出てきたとき,いつでも相談できたキンバリーがいないことを思い知らされるでしょう。


ミカラ・ペトリ Michala Petri(リコーダー)のSCANDINAVIAN MOODSを聴きながら。
(リコーダーがこんなに豊かな表現力があるのかと驚く,とっても素敵な演奏です)

2011年4月16日土曜日

2ヶ月

今日はキンバリーの月命日。2ヶ月であの日がやってきます。
去年の4月13日は中学1年になった彩の初めての授業参観日でした。一緒に担任の国語の授業を参観しました。7日は入学式で,式の終わったあと,PTAの役員を決める集まりがあり,キンバリーは真っ先に手を挙げて,「教養部」の担当になりました。僕も一緒にやりたいと思い,手を挙げたのですが,夫婦でなるのはちょっと・・・ということで辞退。PTAの活動をたくさんやりたいと思っていたキンバリーですが,13日にあった第1回の会合に出席はできたものの,5月の会合は体調が悪くもう参加できませんでした。彼女の脳ではどんどんと癌細胞が増殖していました。頭痛もひどくなっていました。それでも,娘の彩の学校生活に積極的にかかわろうとしていたその姿を思い出し,自分にはとてもできないと思います。最期まで本当に素敵な女性でした。

これから,去年のあの日までのことをいろいろと思い出すと思います。

今日は彩とちょっと買い物などに出てきました。大丸のエスカレーターに乗り,たくさんの買い物客の行き交う姿を目にしながら,「キンバリーは本当にいないんだな・・・本当にもう逢えないんだな・・」ともう何度も繰り返している想いに胸がいっぱいになりました。

Bonnie Raitt    Fundamental   を聴きながら
(キンバリーの好きだった女性シンガーです)

2011年4月15日金曜日

弁護士ジョーク 日米比較

ときどき弁護士にかかわるアメリカのジョークを紹介していますが,先日,依頼人の方に,ある雑誌で読んだジョークの面白さがよくわからないので,解説?してほしいと言われました。
読んでみるとこういう内容でした。

 道路にヘビと男の死体があった。ヘビの前には急ブレーキをかけた跡が残っていたが,男の死体の前にはブレーキをかけた跡は全くなかった。男は弁護士だった。

 アメリカ人ならきっと大笑いするでしょう。
 強欲で嘘つきで人情など何もない,というアメリカの弁護士イメージがよーく身についていると,この手のジョークは面白くてたまりません。


ちょっと急用ができました。
この続きはまた。

THE WHO  MY GENERATION を聴きながら

2011年4月13日水曜日

初めてかも

このブログでキンバリーのことに触れなかったのは,彼女が亡くなってから初めてだったかもしれないと,この前のブログを読み直して気がつきました。書きながら,去年の今頃,今年と同じようにマスターズを見ていたとき,キンバリーも起きて来て,一緒に見たことを思い出したりしていたのですが,文章中では触れませんでした。

まだ1年前にはキンバリーに逢うことができました。4月には映画も観に行っています。カラオケにも行きました。
もう二度とそんなことができないということが,まだ信じられません。

ビートルズ A DAY IN THE LIFE を聴きながら

2011年4月11日月曜日

マスターズ2011

南アのシュワーツェルが13アンダーで優勝でしたね。マキロイがあっと言う間に崩れてしまい,マスターズの,ゴルフの怖さを思い知らされました。タイガーが10アンダーまで伸ばしたのはさすがです。今年は復活もあるのでは。

オーストラリアのジェイソン・デイも良かったですね。早くに父親を亡くして,道を踏み外そうになったとき,母親に勧められて始めたゴルフが彼の人生を救った,ということのようですが,そういう話には弱いので,あとで調べてみようと思いました。

アメリカの弁護士ジョークからゴルフ絡みをひとつ

ティーショットが大きくフックして隣のホールに行ってしまいました。ボールを探しに隣のコースに向かうと,ボールの近くの地面で痛みに呻いているゴルファーがいました。その男いわく
「私は弁護士だ。5000ドルの賠償でどうだろう」
フックボールの男「すみません。本当に申し訳ない。でも,私は「fore」と叫んだのだけど」
すると弁護士は立ち上がり,土埃を払いながら言いました
「それでいいよ。」

お分かりでしょうが,ボールが隣のホールに飛んで行ったときなどに「ファー」と大きな声で言って,危険を知らせますが,英語では「fore」=「four」と発音されるので「4000ドル」で交渉成立と弁護士は解釈したというオチでした。


シベリウス~交響曲1番  ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団  を聴きながら

2011年4月8日金曜日

マタターズが始まりました

今年のマスターズが始まりました。
朝4時前に起きて,テレビの前に。石川遼・藤田は1アンダーでホールアウト。
去年のマスターズも早起きして見ました。キンバリーがよくそんなに早起きできるねと感心していました。番組が始まるときに流れるテーマソングとオーガスタの景色がとても気に入っています。
いつか家族でマスターズ見に行きたいねと話していたことが思い出されます。

娘は今日と来週月曜日学力テスト。ちょっとナーバスになっていました。

あと2ヶ月ちょっとで妻の命日です。もうそんなに時間が経っているのかと思います。信じられません。


ハイドン ピアノソナタ イ短調 ポゴレリチ(p) を聴きながら

2011年4月6日水曜日

ユリシーズ(その後) その他

ようやく暖かくなってきました。
我が家の犬たち(フラットコーテッドレトリーバーのロイ(オス)とビーグルのライ(メス)二人とも5歳)の散歩も楽になりました。私は5歳頃に右足ふくらはぎを噛まれて7針くらい縫ったというトラウマがあるためか,犬はあまり好きではなかったのですが,亡き妻が,一戸建てに住むようになったらどうしても欲しいということで,ビーグルなら私も漫画のスヌーピーが好きだったこともあって,いいだろうということで,まず生後3ヶ月くらいのライがやってきました。ところが,それから2ヶ月くらい経ってから,ペットショップに室内の柵を買いに行ったとき,生後4ヶ月くらいのロイに妻が一目惚れしたということで,世話は全部やるからという約束でロイも我が家にやってきたのでした。

2008年の今頃は,抗ガン剤治療と放射線もほぼ終わった頃で,毎朝,妻と二人でロイ・ライと散歩していました。近くの北大構内を通り,北に向い,北24東1にある喫茶店に寄って帰ってくるというのが日課になっていました。毎朝,散歩しながらあのときのことがよみがえって来て,一人で散歩していることがたまらなく悲しくなってきます。まだ元気だった彼女の姿が,散歩中の風景の中に見えるような気がします。

読み始めたユリシーズの歩みは遅く,ようやく46頁に来たところです。しかし,注釈本だけで数百ページになる凄い小説だと思います。少しずつですが,面白くなってきています。

新学期になり,NHKラジオ講座でフランス語を始めました。ラジオ講座を自動的に録音してくれるラジオサーバーにフランス語と実践ビジネス英語が毎日録音されています。フランス語も聴き始めてから3年になり,応用編がかなり理解できるようになっています。ニューヨークでこの冬,フローベールの「ボヴァリー夫人」の新英語訳を買ってきたので,これと仏語の原書と日本語訳を並べて読むというのも始めました。もともと語学は何時間でもやっていられるという体質で,英語や仏語を読んでいるときが最高に幸せな時間です。

去年の昨日は,妻と娘と3人でカラオケに行った日でした。そのとき撮ったアイフォンのビデオにシンディ・ローパーのtime after timeを歌っている妻が残っています。ドン・マクリーンのアメリカンパイもよく歌っていました。妻が意識をなくしてから旅立つまでの数日間もこの曲を何度もかけてあげました。ビデオを見ていると,彼女がもういないなんて信じられない気持ちです。

今日は娘の中2の始業式でした。小学校からの親友と同じクラスになれて,大喜びで帰ってきました。中1の1年は娘にとっても大変な年でした。これからが楽しく充実した毎日になるように祈っています。娘の希望で,今日は妻とも良く行っていたススキノにある寿司屋で夕食にする予定です。

モーツァルト 交響曲40番を聴きながら