2011年9月3日土曜日

そうか,もう君はいないのか

雨の札幌です。
彩と札幌駅に行って,学校用のバックパックを買い,そばを食べて帰ってきました。
彩は,アメリカのテレビドラマ brothers & sistersにはまっています。もう4年くらい前だと思いますが,
アメリカで買ってきたシーズン1のボックスセット。キンバリーも観て面白いと言っていたドラマです。
日本のDVDプレーヤーでは,何か方式が違うため,アメリカで売っているDVDは観られないのが普通ですが(ただし音楽のライヴ映像は観られるのが普通),我が家のプレーヤーは日米両方再生可能です。アメリカで買ったやつなので,当然,日本語字幕はありませんが,彩は何の問題もなく楽しんでいます。それが僕にとっては羨ましいやら悔しいやら。僕も英語に自信がないわけではありませんが,映画やドラマの早口のセリフを完全に聞き取れるかとなると, 残念ながら限界があります。
その点,生まれたときからキンバリーが英語で話しかけ,毎年,アメリカに行って過ごしてきた彩はほぼネイティブの英語力で,僕には勝ち目はありません。ただ,読むことに関しては,まだまだ僕の方がはるかに上です(これもいつか追い越されるのかもしれませんが。いや,追い越してくれないと困るのです)。

今回のタイトルは,さきほど読み終わった 城山三郎氏の書名です(新潮文庫)。
読むのは2回目。単行本で出版されたのが平成20年1月なので,キンバリーの乳ガンが発見され,
1月4日にアメリカで手術を受けて,1月末に札幌に戻ってから,書店で見かけて買って読んだと記憶しています。そのとき,どんな気持ちでこの本を読んだのかは,あまり 記憶していません。ただ,このような内容の本は,キンバリーのことがなければ買わなかっただろうことは間違いありませんが,この書名のようなことになるなんてことは考えてもいなかったと思います。僕は城山氏の作品はほとんど読んだことがなく,氏の愛読者ではまったくありませんでした。

数日前,いつものように朝5時過ぎ頃に目が覚めて,少しぼやっとした頭でベッドの左脇の書棚(寝室のベッドを挟むようにして天井までの書棚があり,本で埋まっています。地震がきたら両側から落ちて来る本の下敷きになって死ぬかもしれないとキンバリーも恐れていました・・・)の本の背表紙を見ていると,城山氏の「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」が目に入り,手にとりました。そして,本の帯びに「そうか,もう君はいないのかの最終章」というような言葉を読んだ瞬間,涙があふれてきました。「そうか,もう君はいないのか」ということばに,激しく動揺したという感じでした。
実は,6 月27日に新潮文庫版を買ってありました。児玉清さんが解説を書いているので,単行本で持っているのですが,それを読みたくて買ってあったのでした。買ったはいいが他の本もあるので読まずに本棚に入れてあったのですが,もしかすると,「早く読んでくれ~」というメッセージが伝わってきたのかもしれません。

城山氏と奥さんの容子さんの出逢いも,奇跡的です。
昭和26年の早春,城山氏が名古屋のある図書館に行ったところ,規定の休館日ではないのに休館。そこに容子さんも来たのが出逢い。容子さんは高校生で, 学校の運動会をさぼったので時間潰しにたまたまその図書館に来たのでした。
少し違いますが,僕とキンバリーとの出逢いとオーバラップしました。

肝臓ガンで亡くなった容子さん。彼女が逝ってから7年後に城山氏も容子さんのところに旅立っていきました。その7年間がどれだけ辛いものだったか,巻末に収録されている娘さんの井上紀子さんによる「父が遺してくれたもの-最後の「黄金の日日」」が伝えてくれます。

二人の子どもが独立したあと,二人で旅行したり,夫婦二人の時間をたくさん持てたことに,ちょっとだけ羨ましい気持ちにさせられました。
お二人はきっとあっちの世界で仲良くしていると思います。僕がキンバリーに逢えるのはいつになるのか・・・

城山氏の作品を読んでみようかと思っています。

King  Crimson   Red    を聴きながら

0 件のコメント:

コメントを投稿