2012年2月16日木曜日

1970年6月16日~ルイ・アラゴン

昨夜11時過ぎ。モレスキンのノートに日記(のようなもの)を書き終わったとき,「そういえば,水曜日の夜だからNHKのフランス語講座をやってるな。ちょっと見てみようか。」ということで,テレビのスイッチを入れました。
僕はフランス語も好きで,最近はさぼり気味ですが,リンガフォンのCDを聴いたり,ラジオ講座を自動的に録音するラジオをセットしてときどき聴いたりしています。そういえば,ボヴァリー夫人を英訳を参考にしながら仏語の原書を読むという課題が挫折したままです・・・
大学の第二外国語にフランス語を選択し,1年の最後の試験をボイコットして2年のときに「落ちこぼれたち」の集められたクラスで出会った教師が素晴らしい人で,フランス語文法の基礎をかなりたたき込まれたり・・・その話はいずれまた。

テレビをつけると,おなじみの大好きな講師國枝孝弘(早稲田の法学部在学中にアテネ・フランセでフランス語を学び始めて,フランスに留学し,今は慶應の教師をやっているという人。ロック好きらしく,一度話がしたい人の一人。数年前,東京の新橋にあるジャズ喫茶に深夜行ったら,3人くらいで何だか熱っぽく話をしているのを見かけたことがあります・・・)と,これもおなじみのパトリス(面白すぎるフランス人講師)の顔が・・・

ちょうど「今月のテーマ」のところで,L'amour sans forme  愛 それぞれの形ということで,
Louis ARAGON ルイ・アラゴンのことが紹介されました。
シュルレアリスム運動の創始者の一人で,第二次世界大戦時にはレジスタンスとして活動した詩人。
かなり複雑な不幸な生い立ちで,自殺未遂をしたりしたあとで,生涯の伴侶となるエルザ・トリオレと出逢います。1928年のこと。パリの南西にある小さな町,サンタルヌーアンイヴリンの水車小屋を改築した家に暮らし,そこでおよそ20年をともに過ごしたそうです。

そのエルザが亡くなり,その12年後にアラゴンも亡くなるのですが,エルザの亡くなったのが
1970年6 月16日なのです。   キンバリーと同じ日,キンバリーの40年前の同じ日に亡くなったのです。そして,これが感動なのですが,アラゴンは家にかかっていた日めくりのカレンダーを6月16日のままずっと自分が亡くなるまでそのままにして生き,今も当時のままで残っているのです。

彼にとって,時間はエルザが旅立ったその日で止まっていたのだと思います。
そのあとの12年間,いったいどんな思いで生きていたのか,彼の伝記などを読みたいと思っています。

Les mains d'Elsa   エルザの手  はこんな詩です。

Donne-moi tes mains pour l'inquietude.
Donne-moi tes mains
dont j'ai tant reve.
Dont j'ai tant reve dans ma solitude.

                                                不安な僕に君の手をさしのべておくれ。
                                                僕があんなにも夢見た,
                                                孤独の中であんなにも夢見た君の手をさしのべておくれ。

ユリシーズの1904年6月16日とともに, エルザが亡くなったこの日も,僕にとっての特別な日として残ることでしょう。

今日はキンバリーの月命日。
彼女がいないということが,まだどうしても納得できません・・・
2年前のあの日から,僕の時間も止まっているような気がします・・・

マリアンヌ・フェイスフルのクルト・ワイルを聴きながら

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