2010年4月9日金曜日

子どものライター事故に思うこと

ライターの安全性についての議論が最近ニュースをにぎわせています。
先日,道内で車内で寝ていた子ども4人が,ライターのいたずらが原因と思われる火災で死亡するという痛ましい事故がありましたが,昨日も本州で子どものライター遊びで事故が発生していました。そこで明らかとなったのは,欧米ではライターが子どもが簡単には着火できない仕組みになっているのに対して,日本ではそのような安全対策が全くされていないということでした。子どもの安全をどうやって守るか,事故の発生をどうやって事前に防止するかに対する意識には,日本と欧米にはもの凄い違いがあります。ライターだけではありません。薬のボトルの蓋がアメリカでは簡単には開けられないように工夫してあります。子どもが誤って薬を飲んでしまわないようにしています。ところが,日本では殆ど見ません。簡単に開けられるボトルです。
一体この違いはどこから来るのでしょうか?

ここで1つエピソードを。私の妻はアメリカ人なのですが,同じアメリカ人の友人とあるスーパーに行ったところ,駐車場に停めてあった車の中で赤ちゃんが泣いているのに気付き,しばらく親が来るか待っていたが,来ないのでスーパーに店内呼出をかけてもらうとともに,警察に連絡したのです。
間もなく,母親がやってきて,警察もやってきました。母親は「何でこのくらいで警察なんか呼ぶの?」と半分怒った様子で,警察もたいした問題とは考えていない様子がアリアリ。

多くの皆さんは,この母親の反応に近いのではないでしょうか。警察を呼ぶのは大げさだ,とか。
アメリカではこの母親は逮捕された可能性が高いでしょうね。本当の話です。日本では,毎年のようにパチンコに夢中になった両親に車内に置き去りにされた子どもが,熱中症で死亡するという事故が起きています。多分,永遠になくならないでしょう。子どものライター事故は,ライターを車内に置いてたあったことがクローズアップされていますが,たとえ自宅前だったとしても(道内の事件は自宅前だったようです),子どもだけを残して大人が車から離れるなんてことはアメリカ人の妻にしてみれば絶対に有り得ないことで,僕も妻と一緒になってからは同じ感覚になっています。例えば,ドライブをしていて,トイレに行く事になったとして,娘が後部座席で眠ってしまっているときは,私か妻かどちらかが車内に残ります。トイレに行くだけだから時間はそんなにかかりません。それでも,絶対に子どもだけを車内に残すことはしません。どんな短時間であっても,何が起こるか分からないのだからどちらかの親は子どものそばにいなければならないと考えます。

児童虐待に対する対応の信じられない不手際も,このような発想が皆無であることに関係があると思います。子どもの命がかかわっているときに,当の虐待している親が「今,子どもは寝ている。大丈夫です」などと言われて「そうですか。」と帰ってくる役人たちの感覚については批判的論調がマスコミに載っていますが,一般人であるわれわれも実は同じ感覚でいるのです。

時間がなくなりました。続きは次回です。

「リンキン・パーク」のライブを聴きながら。

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