2011年3月2日水曜日

残酷な運命です

先日,妻の友人と知人の二人の方がお参りに来てくれました。
二人とは2009年10月にYさんを偲ぶ会でご一緒しました。妻も一緒でした。
Yさんはその年の6 月,パリで亡くなっていました。41歳という若さでした。肝臓ガンだったとのことです。フランス人男性と結婚してパリで暮らしていました。

Yさんは,僕と妻の出会いを「演出」してくれた人でした。1995年4 月8日の土曜日午後3時頃,僕は初めて妻に逢いました。場所は,大通2丁目にあるミスタードーナッツの前。その日は由仁町で,帰国することになったオーストラリア人女性のためのお別れパーティが催されることになっていて,それに参加する人たちの集合場所がミスタードーナッツの前だったのです。妻はYさんと一緒に来ていました。僕は他の友人から教えられて,軽い気持ちで行ってみようかなと思っていたのでした。車を停めて降りたとき,歩道に一人で立っていたのが妻でした。目が合って,お互いビビッと来たのでした。これを言うと必ず「自惚れ~」と言われるのですが,妻は僕に一目惚れしたのでした。妻に何度もきいたのですが,本当のようでした(笑)

パーティの場所は,由仁町にある一軒家で,ちょっと変わった建物でした。数年前までは宗教施設だったということで,広い広間があって,そこでたくさんの人が踊っていました。妻と話をするようになって, 翌日になったとき,帰ろうと思った僕は,妻にもし帰るのなら車で送って行くけど・・・と勇気を出して言ってみました。妻は「友達と来ているから,ちょっと聞いてくる」と言って,その友達のところに行きました。それがYさんでした。きっと友達と残ると言うんだろうなと思って待っていると,妻は戻って来て,
 「送ってください」と言ってくれました。それから2週間後の土曜日にアメリカに帰ることになっていた妻でした。2週間後の土曜日,千歳空港まで妻を送って行きました。連絡を取り合おうね,と約束し,妻はニューヨークに飛び立ちました。その後のことは,また書く機会があるかもしれません。

そんなYさんが亡くなったことを知ったとき,妻自身も乳ガンと闘っているときでした。一旦は治ったと思っていたガンが再発してあっという間に体調が悪化したとき,ちょうどYさんのお母さんはパリに向かっていました。お母さんは,まさかYさんがそんなに悪いとは夢にも思っていなかったということです。そして,お母さんが着くのを待っていたかのように, Yさんはお母さんが到着して間もなく亡くなったということでした。

そして,ほぼその1年後の6 月に妻は旅立っていきました。

何という残酷な仕打ちかと思います。

由仁町の僕たちの出会いの場所は,今は,英国人女性で陶芸家でもあるケイトが窯を持って,週末にはカフェとして営業しています。ダンスを踊った広間は改装されてなくなってしまいましたが,ケイトの自宅部分は当時のままで残っています。家族で何度も行って,バーベキューをしたりした思い出の場所です。妻が亡くなってから,何度かケイトに逢いに行ってきました。妻の思い出,初めて一緒に踊った場所が今も残っています。
でも妻と踊ることはもうできないのですね。

ボブ・ディラン 1981/7/14 西ドイツ(当時)ライブを聴きながら

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