2010年11月28日日曜日

日曜日

日曜日の午後,事務所に出てきています。今朝は少し寝坊してしまい,起きたのは7時でした。昨日は朝8時半スタートで北広島でゴルフ。高校時代の同期の仲間3人と回ってきました。終わった後,クラブハウス隣にある温泉に入り,食事をして帰宅。東区にある岩田コーヒーに行って, ロランバルトのMournind Diaryを美味しいコーヒーをのみながら読んできました。ここは,妻と何度も来ていた店で自家焙煎の美味しいコーヒーが飲めるところ。スコーンもパスタも美味しくて,オーナーの堀田夫婦とも仲がよくて,妻がいつも行きたがっていた店です。いつも座っていた席に座って入り口を見ていると,今にも妻が入ってくるような気がしてウルウルしてしまいました。

Mourning Diary は哀悼・悲嘆の日記とでもいうのでしょうか,ロランバルトというフランスの哲学者・評論家が1977年10月に最愛の母親が亡くなったあとに,耐え難い悲しみの毎日に書いていたメモを日付順にまとめたものです。今月の6日, ニューヨークのユニオンスクエアにあるお気に入りの書店「ばーんずアンドノーブル」で見つけて購入したもの。11月28日にこんな文章があります。

 Does being able to live without someone you lovedmean you loved her less than you thought...?
      愛する人なしで生きていけるということは,自分が思っているほどその人を愛してはいなかったと  
 いうことなのか・・・

   バルトは「零度のエクリチュール」「恋愛・ディスクール・断章」「モードの迷宮」などで著名な人ですが,この日記を読みながら,今までとは違った意味でその言葉が心に浸みてきています。

 言葉がどんなに意味を持つかを妻のことで思い知ることになりました。一言も言葉のない同期その他の弁護士たちの冷酷さはいうまでもありませんが,妻のことを知っている他のほとんどの弁護士からも言葉をかけられたことはほぼ皆無でした。わずかに数名が「大変だね」と声をかけてくれました。その時に感じた嬉しさとありがたさはひとしおでした。言葉をかけるという簡単なことでどんなにその相手が救われるかということを身にしみて理解できしまた。それまでは,僕自身が言葉をかけない側にいたと思います。

 今回のことで,本当の友人というものが誰か分かったと思います。
 異動の時期になると,同期の裁判官や検事が札幌に着任したり離任したりします。そのたびに同期による歓迎会や送別会が開かれるのが通例です。僕も昔は出席していましたが,それがいかに偽善的で見せかけのものであったのかがよく分かりました。

 それに比べて,ほんの少しだけ妻と接することのあった人たちが,妻のために涙を流してくれるのに出逢い,妻がどんなに他人に対して本物の愛情を気持ちを持って接していたのかが分かり,そんな女性と出逢えたことがどんなに幸せなことだったのか思い知らされています。

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