2010年11月29日月曜日

雪の札幌

結構雪が降った札幌です。もう1台の方の車はまだ夏タイヤで,そろそろ交換にスタンドに行こうかなと思っていた矢先に雪になってしまいました。まだ根雪にはならず,一度は溶けると思うので,そのチャンスにスタンドに行こうと思っています。ちょっとのんびりし過ぎていたようです。

明日の裁判の準備が終わり,デスクの近くにあった書類の入った封筒を手に取って中を見たら,妻の伝言が書かれた置き手紙が出てきました。去年の4月,イギリスから友人のルースと息子のセイジが私たちの家に滞在したときのもので,「これから中国領事館に行って,その帰りの足のマッサージをしてきます。ダイアンとランチの予定なので,一緒したかったら私の携帯に電話してください。キンバリー
(炊飯器に炊き込みご飯が作ってあるよ) 」(原文英語)  名前の後ろにスマイルマークがある馴染みの字体で書かれたのを見て,グッとくるものをこらえられませんでした。逢いたい・・・

言いたいことははき出した方が精神衛生上いいという友人からの助言もあり,再度,理解できない弁護士の態度について触れます。

妻も弁護士である同期の弁護士とは, ある事件を一緒にやっていたので,その打ち合わせのために,何度もその事務所に行く機会がありましたが,その際にもただの一度も妻のことを訊かれたり,言葉をかけられたことはありません。普段会っていないのではなく,会ったときにも全く妻のことは無視でした。同じように,弁護団会議でよく会っていた後輩弁護士(妻や娘と一緒にある弁護士の妹の結婚式にフランスまで一緒に行ったこともある弁護士)も,一度も言葉をかけてきたことはありませんでした。ちなみに,妹がフランスで結婚した弁護士からもただの一度も言葉はありません。
また,他の同期の弁護士は今年の初め頃,ある手続きについて僕が分かれば教えてくれないかとの電話をかけてきたので,調べた上で, 電話で教えてあげたことがありますが,その数回の電話のときも妻のことは全く何も触れられず,仕事の話が終わったらそれだけでした。

こういうことは僕には到底理解できないのですが,僕の感じ方がおかしいのでしょうか。

弁護士としては立派な方々でしょうが,人間としては絶対に許せない人たちです。

まだまだ,いろいろありますが,そろそろ止めようと思います。妻が「もういいんじゃない。そういう人たちなんだから」と言っているようです。

こんなこともありました。
先日,僕の出身である早稲田大学と慶応大学の懇親会がありました。会場のホテルで受け付けを済ませて椅子に座っていると,先輩の女性が声をかけてきて,天満敦子さんのことをとうとうと話し始めたのです。彼女とは妻が亡くなってから初めて顔を合わせたのですが,いきなりそんな話を始められたのであっけに取られたような感じで,正直不快でした。
6月21日に札幌グランドホテルであった天満敦子と窪島誠一郎「ヴァイオリンと語りの午餐会」のチケットを妻と一緒に行くつもりで彼女から購入していたのですが,妻が亡くなり,当日は僕はまだアメリカにいたので行けませんでした。そんなことは知らない彼女は,その当日僕たちが会場に来ていないので,僕の携帯に電話をしたところ,アメリカの妻の妹宅にいた僕にそれがつながり,妻が亡くなったことはそのときに伝えていたのです。それが,いきなり,妻のことには何も触れず,天満さんのことを話されたので,一体どういうことなのかなと思ったのでした。

それから数日して彼女から丁寧な手紙と天満さんのCD,妻へのお供えの品とが送られてきました。すぐにお礼の電話をかけて,いろいろと話をして彼女の妻への思いを知ることができました。

ブレンデルのピアノによるリストを聴きながら

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