2010年11月22日月曜日

雑記

妻のことが何故かブログ以外のところに載ってしまいました。
6月16日に亡くなったあと,7月中旬まで娘とアメリカに滞在していました。7月11日の僕の誕生日はニューヨークで迎えました。95年に妻と初めて出逢ったのですが,ニューヨークに帰った妻に逢いに6月末にニューヨークに行きました。JFKに赤いばら一輪を持って僕を迎えてくれた妻の姿が今も忘れられません。7月11日の誕生日はプラザホテルに滞在していました。95年は,最近と同じく円高でリッチな気分になれた年でした。その朝,ルームサービスが日本食の朝食を運んできました。妻が僕を驚かそうとして頼んでくれていたのでした。

妻との思い出は限りがありません。

妻の乳がんが発見されたのは,2007年11月末頃でした。それから亡くなるまでの約2年7ヶ月,妻がやっていたびっくり部屋の生徒さんやその親御さんたちが千羽鶴を折ってくれたり,励ましの言葉をいただいたり,とてもありがたかったです。

ところがこんなこともあります。
札幌には同期に弁護士となったのが9人いるのですが,一人を除いて,妻の闘病期間中も亡くなった後も,文字通り,一言も言葉をかけられたことがありません。妻のことも知っているし,弁護士10年目のときには家族でハワイ旅行をしたこともあります。そのうちの一人の妻も弁護士なのですが,妻に,その息子の英語の家庭教師をしてくれる外国人の紹介を頼んで来て,紹介したこともあるのですが,その弁護士からも何の言葉もかけられたことはありません。
妻が亡くなってアメリカから帰って来るとき,もしそんな人間たちから香典が来ていたら突き返してやろうと思っていました。香典はそもそも来ていなかったので,そんなことをする必要もありませんでしたが。

僕のことが大嫌いで,理由は知りませんが憎んでいるのかもしれません。
しかし,そうであっても,一度くらいは何かのことばくらいかけるものではないのでしょうかね。
みなさん,どう思うでしょうか。
こんな弁護士は他にもいます。僕の家に婚約者と来て,妻ともいろいろ話をして帰った弁護士がいますが,この人間からも一言も言葉をかけられたことはありません。

こういう人間を僕は絶対に認めません。

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