2011年7月19日火曜日

フィリピンからの電話~フェイスブック

先日,自宅にフィリピンから電話がかかってきました。
2009年の約1年間,週に2回ほど自宅に来てくれて,掃除をしてくれていたフィリピン女性(まだ20代前半)からでした。その日,誰かからのメールでキンバリーが亡くなったことを初めて知って,すぐに電話をかけてくれたのでした。僕の携帯にもかけてくれたのですが,「通知不可能」のディスプレイだったので取らなかったので,自宅の方にかけたところ,僕が在宅していたので話すことができました。キンバリーの体調が思わしくないとき,彼女が来てくれたあとの我が家はまるで別の家のようにきれいに整頓されていました。もともとは,看護士の資格を取るために札幌の専門学校に通うために来日したのですが,少しでも収入が必要な彼女と我が家のニーズが合致して,来てくれることになったのでした。たどたどしい英語でキンバリーへのお悔やみと僕と彩のことを気づかう言葉をかけてくれました。本当に嬉しかった。

そして,翌日,フェイスブック宛に彼女からのメールが来ました。札幌にいる間に,どんなにキンバリーに優しくしてもらえたか,それで自分はsurviveすることができたとのメーセッージでした。キンバリーは彼女の相談相手にもなっていて,それが心の支えになったと感謝の言葉が書いてありました。1年以上もキンバリーのことを知らせることができなかったことをお詫びしました。フィリピンの連絡先が分からないので,伝えようがなかったのです。

キンバリーに逢いたいです。
先日,彩が6歳のとき,釧路湿原に行ったときのビデオを見てしまいました。ガイドに案内されて湿原を楽しそうに歩いている彼女の姿が写っていました。あの笑顔と笑い声・・・

ベートーベン ディアベリの主題による変奏曲   ポリーニ(p)を聴きながら

0 件のコメント:

コメントを投稿