2011年10月13日木曜日

ZUTTO~ずっと

朝日新聞の土曜日朝刊に入ってくる「be」に連載されていた「愛の旅人」をまとめた本が出ています。
連載されていたときも愛読していましたが,本にまとまってから読み直しています。とても素敵な内容でオススメです。3冊出ていますが,1冊めには漱石・獅子文六などが取り上げられています。
本の帯のコピーは

二人の愛を探しに行きませんか。語り継がれる名作に描かれた,愛のかたち。文人才人たちが生きた,一途な愛のおもい。古今東西の,さまざまな愛を訪ねる写真紀行。

とあります。
漱石のところでは,彼が熊本の旧制五高の教授をしていたときに,妻の鏡子が入水自殺を図ったエピソードが取り上げられていたり,その作品はあまり読んだことはない藤沢周平が,結婚4年後に長女誕生のわずか8ヶ月後に病死したことを教えられました。

その中に,「海は甦る  山本権兵衛と登喜子」が入っています。
日本海軍育ての親といわれる権兵衛が,貧しい生家のために奉公に出ていた,まだ年季の明け
ていない登喜子を奉公先の茶屋から兵学校の同期生らを指揮して救出するところから描かれて 
います。
権兵衛は当時の軍人としては考えられないフェミニストで,女性は乗船させないことが当たり前
だった当時に,登喜子を軍艦に乗船させ,艦内見学のあと,登喜子の履物を携えて桟橋に下り, 
彼女の前に履物を揃えて置いたというのです。ドイツ留学時代の恩師であるアレクサンダー・フォ
ン・モンツ伯爵の女性を尊重する姿に学んだのがその背景にあるとのこと。
1933(昭和8)年3月登喜子が73歳の誕生日目前に他界し,その年の12月に権兵衛も後を追
うように世を去りました(享年81)。
登喜子の没後,手文庫から巻物が見つかります。結婚を控えた権兵衛が登喜子に贈った7カ 
条の誓約書でした。

その中の一つに  夫婦むつまじく生涯たがいにふわ(不和)を生ぜざる事

とあり,妻登喜子のため,権兵衛は漢字にふりがなをつけてあり,「生涯」の二文字には「いつま
でも」とルビをふってあったということです。感動です。

これを読んだとき,キンバリーが選んだ僕の結婚指輪の裏側に彫られたことばが浮かびました。
それは「Zutto」です。「ずっと一緒に」という気持ちをこめて彼女がこのことばを彫ることを希望
   しました。キンバリーの指輪の方にはどんなことばがいいか考えて,少しだけ悩んで,彼女は「All」
 「 すべてを」ということばを選びました。

       ずっと一緒にいたかった。でもずっと彼女にはもう逢えない。
       二つの指輪は,今,自宅の僕の小さな書斎の書棚に一緒に並んでいます。

     


  

0 件のコメント:

コメントを投稿