2010年3月19日金曜日

刑事裁判の原則について

蘭越事件の話題が続いていますが,私は刑事事件専門の弁護士ではありません。日常的には民亊事件を主に取り扱っています。ただ,ときどき刑事事件を手がけるわけです。
刑事事件においては,検察官が被告人の有罪を完全に立証しなければならないというのが大原則です。これに対して,被告人側は無罪であることを証明する必要はありません。検察官の証拠では有罪が100パーセントは証明できないことを明らかにできれば,無罪となるのが原則です。ですから,被告人は起訴された犯罪行為を「やっていないこと」を証明する必要はなく,検察官の証拠では「やっていることが100パーセント証明できていないこと」を立証できればいいのです。
ちょっと分かりづらいでしょうか。この点で私がよく例に出すのは,アメリカでの著名な事件「OJシンプソン事件」です。元アメリカンフットボールのスター選手で,俳優にもなっていたシンプソンが元妻とその知り合いの男性を殺したということで起訴されたのですが,陪審裁判で無罪となり,世界中に衝撃が走ったのでした(この衝撃を記憶している方,どのくらいいるのだろうか・・・)。
ところが,遺族がシンプソンを相手に起こした民亊裁判では,シンプソンが殺人を犯したことが認定されて,莫大な損害賠償責任を負わされたのです。何故刑事と民亊とで結論が異なるのか,真実は1つではないかと思われるでしょう。ここに刑事と民亊の違いがあります。刑事裁判では,検察官が100パーセント被告人の有罪を証明しなければならないのに対し,民亊裁判では訴える側は被告がやったということを理論的には51パーセント証明できれば,勝訴となるのです。

と,ここまで書いて,所用のため中断して,続きはまた(すみません)

今日は娘の小学校の卒業式でした。卒業証書を校長から渡される前にマイクの前で今後の夢や希望を一言述べるというのを見て,自分の32年前の卒業式とは違うなあと思いました。

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