2011年6月2日木曜日

2010年6月2日ニューヨーク

去年の6月1日午後にロスアンジェルス空港に着きました。マイレージのアップグレードが使えたので,ビジネスクラスでゆったり行くことができました。キンバリーは右隣に座った黒人男性と「どこに行くのですか?」とか,楽しそうに話をしていました。これが最後のアメリカへの旅になるかもしれなと思っていたと思います。それでも,母親や妹に逢えることがとても嬉しかったのでしょう,頭痛もなくなり(点滴の効果があるということは,脳に転移していることの証明なのですが),家族で旅行に行くときのような気持ちにもなっていたのだと思います。医師に余命が最悪で2週間と宣告されているような人の姿ではありませんでした。

ロスで大学時代の友人シンディと会って,食事をして彼女の家に行き,お茶をごちそうになって,夜10時半頃の飛行機でニューヨークに向いました。
JFKに着いたのは2日の朝7時頃。母親・妹のスー・親友のリサが迎えに来てくれました。スーの家までは約2時間。助手席に座ったキンバリーが僕が撮影していたビデオに向かって「ハーイ」と言って笑っている姿が残っています。

一旦,スーの家に行き,少し休んでから,ガンセンターに行き,アメリカの主治医であるシーゲル医師に会いました。日本と同じく,最悪で2週間と言われました。治療方法についての話で,頭蓋骨に穴を開けて抗ガン剤のような治療薬を腫瘍部分に注入する方法があると図解して説明されましたが,そうするともう飛行機には乗れないと言われ,キンバリーは即座に「それはだめ。」と答えました。日本に帰ることができなくなるような治療はしたくないのでした。

それからの日々。まだプールで泳ぐこともできたキンバリー。

何だか音楽を聴く気持ちになれません・・・

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