2011年6月1日水曜日

今日からアメリカです

といってもアメリカに行くというわけではありません。
去年の今日6月1日妻と娘と3人でアメリカ コネチカット州ウェストハートフォードの妻の実家に向けて最後の旅に出発したのですが,これからの毎日は僕の心はあの日16日までアメリカに行っているような感じなのでこんなタイトルになりました。

5月28日に脳転移が確定診断され,脳内圧を下げる点滴を始めると,動けないほどの頭痛が嘘のように消えてとても喜んでいたキンバリー。病院に来てくれたたくさんの友人たちとの時間を過ごし,31日の夕方に外出許可をもらって自宅に荷造りに帰ってきました。本当は,アメリカから母親と妹が札幌に来るということになったのですが,義妹のパスポートが失効していることが分かり,こちらからアメリカに行くことになったのです。頭痛があまりに酷くて,とても飛行機に乗ることなどできない状態だったのが,点滴が効果をあげたので,急遽,飛行機の手配をして1日に出発することになったのでした。医者は反対でしたが,アメリカの家族に会いたい気持ちは強く,自分で点滴をしながら行くことになったのです。妻の胸部には点滴のためのポートが埋め込まれていたので,自分で点滴することができるとういことで,看護士にその手順を教えてもらって,メモもしてもらい出発したのでした。

朝の6時頃,病院の前を私の弟の運転する車で出発しました。友人たちが12~3人見送りに来てくれました。
成田空港までの直行便に乗れないというアクシデントがあり,羽田経由で成田に行くことになりました。ポートは医療器具でそれを埋め込んだまま飛行機に乗ることについて医者の許可書のようなものが必要だとういこと主治医に頼んでいたのが,千歳空港に着いてからそれがないことが分かり,結局成田直行便には乗れなかったのです。

夕方の出発だったので,それまでに空港の休憩室のようなところで点滴。終わるのに3時間くらいかかるので,その間,私と娘は空港内で時間をつぶしたり,点滴が終わったキンバリーの車椅子を押しながら,カメラを買ったりしました。

娘はキンバリーが亡くなるまで,脳転移が,余命2週間から2ヶ月だということを知らずにいました。
それが,あとで娘に辛いを思いをさせることになるのですが・・・

これから,1年前の日々が,痛みを伴ってよみがえって来るのは辛いです。
日本にいたなら,私の両親や弟家族などとの最後の日々を共有することができたでしょうが,アメリカでは僕と娘だけが,私の家族としてキンバリーの最後の日々に向かいあっているという感じで,正直,とても孤独でした。いろんなことがありました。まだ整理しきれないという感じです。


今日から1泊で,娘は中学校の宿泊学習で小樽の方に行っています。
久しぶりに一人です。
どんなことをしてもキンバリーを抱きしめることは二度とできないんだということが,1年の時間が経過するなかで,むしろだんだんと重く感じるようになっているこの頃です。

GARTH BROOKS   SEVENS を聴きながら

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