2011年8月7日日曜日

自分だけでは楽しめない

今朝,テレビを見ながら涙が出てしまいました(考えてみると,僕は相当「泣き虫」のようで,娘の彩によく言われます。「お父さん,泣きすぎ!」)

日曜日の朝9時から「題名のない音楽会」という番組があります。数少ない好きなテレビ番組の一つで(もうひとつの「ブラタモリ」はもうやらないのだろうか・・・),佐渡裕の司会も好きなので,よく見ます。
今日はバイオリンの秘密がテーマでストラディヴァリウスとガルネリという名器の特集でした。
ヴァイオリンの構造についての説明などがあって,実際の演奏が始まったとたん涙が出てきました。
曲名が今思い出せないのですが,心がうきうきするような楽しい,有名な小曲です。涙が出たのは,
その曲に合わせて身体をちょっと揺すったときでした。
すぐにはそのわけが分かりませんでしたが,キンバリーの表情が浮かんできて,その理由が分かりました。「自分だけが楽しい時間をもっている」ことに対して,キンバリーが一緒にそんな時間を持てないということに, どこかで「罪悪感」「ごめんね」という気持ちを感じてしまい,キンバリーがいないんだということを思い知らされて,心から楽しむことができず,彼女と楽しみを共有できないことが悲しくて涙となってしまうのだと思いました。

思い返すと,彼女が逝ってしまってから,心から楽しいと思えた時間は皆無です。
すべてのことが,単なる「時間潰し」のようにしか思えないのが正直なところです。
「キンバリーは僕と彩が楽しく元気に生きていくことを望んでいるよ」と言われることがあります。
そう思えるようになるものなのか,今はこの「時間潰し」感覚で,とりあえず生きていくしかないと思っています。


シベリウス  交響曲5番  ジェイムス・レヴァイン指揮  ベルリン・フィルを聴きながら

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