2011年8月15日月曜日

ビートルズ回帰現象

キンバリーが逝ってしまってから,ビートルズが戻ってきたという感じになっています。
中学・高校の3年間,毎日ビートルズを聴いていました。中学のときは一日に4~5時間はビートルズを聴いていたと思います。自宅にあった,父親のソニーのオープンリールのテープレコーダーに全部のLPを録音して,それを何回も聴くのです。レコードの溝が磨耗することを畏れて,そうやってレコードは大事に取っておくのです。
ビートルズの曲は全部で213曲あるのですが,そのすべての曲を何千回と聴いていると思います。
中学のとき,布団に入ってから2~3時間眠れないときが続きました。ビートルズの曲が頭の中で鳴り出して,いつまでたっても終わらないのです。よし,次の曲でストップして眠ろうと決意しても,あっさりとその期待は裏切られ,次の曲が最初から最後まで演奏されるのです。

ビートルズが解散したのは1970年。僕が中学2年生のときでした。この年の11月には三島由紀夫の割腹という大事件もあるのですが,僕にとってはビートルズが解散した年として記憶されています。泣きました。解散の噂は前年から伝わってきていましたが,「そんなことがあるはずがない」とラジオのニュースに気が気ではありませんでしたが,解散が現実となったとき,その事実を受け入れられず,本当に悲しくて泣いてしまいました。その当時から泣き虫だったのかもしれません・・・

ちょっと調べたところ,1965年の今日,8月15日は,ビートルズがニューヨークのシェイ・スタジアムで初めてライブ演奏をした日でした。ロックコンサートが野球場で行われたのはこれが初めてのことでした。そのころ,僕は小学3年生でしたが,近所の仲間と「ビートルズって,30分くらいのコンサートでものすごいお金が入るんだってさ」と興奮しながらしゃべったことをよく覚えています。でも,まだビートルズの音楽そのものには本格的には参入していませんでした。ベンチャーズの方をよく聴いていました。エレキギターブームだったのでしょう,近所のアパートでお兄さんがたがエレキギターの練習をしていて,ベンチャーズのダイアモンドヘッドなんかをやっていて,アパートの窓にくっついて(1階の部屋でした),飽きずにずっと聴いていたことを思い出します。

ビートルズを本格的に聴くようになったなったのは小学校6年生の頃でした。
それからはビートルズなしでは生きられないというくらいのめりこみました。当時は,今のようにビデオやDVDなどないので,ロックコンサートを見ることができるのは,フィルムでした。STVだったと思いますが,フィルムコンサートが道新ホールなどで行われて,そこでストーンズなどの演奏シーンを見て興奮しています。ビートルズのライブもフィルムで見ました。四角いステージを観客が囲んでいるコンサートで,1曲終わるごとにドラムスや機材を動かして全部の方角の観客が正面から見られるようにするとか,サービス精神旺盛なビートルズに感心したり・・・

狸小路1丁目にスカラ座という映画館がありました。ハードデイズナイト・ヘルプ・レットイットビーの3本立をやったとき,母親におにぎりを作ってもらい,朝から映画館に入り浸り,それぞれを2回ずつ観るということをやったことがあります。この3本,映画館でそれぞれ16回観ています。

ビートルズ絡みは書くときりがないようです。
小休止します。
(ビートルズがシェイ・スタジアムで演奏していたとき,キンバリーは母親のおなかの中にいたことになります。12月22日が誕生日です)

THE BEAUTIFUL SOUTH   QUENCH を聴きながら

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