2010年12月6日月曜日

おくりびと

「おくりびと」という映画,外国でも高い評価を受けた映画ですが,僕はDVDで途中まで観て最後までは観ていません。妻は映画館で観て,いい映画だったと言っていました。今年の3月頃だったと思いますが,借りてきたDVDを一緒に見始めて,理由は忘れましたが,僕は途中からテレビの前を離れて,そのままになっています。

それから約3ヶ月後,6月16日午前2時44分に逝ってしまった妻の体を清めてあげることになるとは夢にも思っていませんでした。12日から昏睡状態になっていた妻の寝息をずっと聴きながら過ごしました。妻の好きだった音楽をずっとかけ続け,娘と一緒に話しかける日々でした。不思議なことがありました。娘が母親に聴かせてあげるためにCDを何気なく買ってきたのですが,それはパッヘルベルのカノンが1曲目に入ったクラシックのコンピレーションでした。この曲は,96年1月20日の僕たちの結婚式で入場のときに演奏されたものです。そんなことは何も知らない娘の選んだCDの1曲目が流れたとき,時間はあの日に戻り,涙が流れました。その話を聞いて,娘も驚いていました。

まだ暖かい妻が来ていた衣服を脱がし,暖かいお湯に浸したタオルで全身を拭いてあげました。
そして彼女の好きだったローションを全身に塗ってあげました。娘も一緒です。僕と娘の二人だけで塗ってあげました。ホスピスから来ていたナースには妻の体を支えたりするのを手伝ってもらいましたが,娘と二人で彼女を綺麗にしてあげることができて,幸せだったと今は思います。でも,そのときは,妻が亡くなっていることの実感はまだなかったと思います。まるで,ぐっすりと眠っている彼女の世話をしてあげているような感覚だったような気がします。
葬儀社の人が来て,彼女を連れていくまでの1時間以上の間,僕と妻の二人だけの時間が持てました。まだ暖かい彼女の身体をさすってあげながら,ずっと話しかけていました。ふと彼女の顔を見ると口元が笑っているようになっていました。最後のキンバリースマイルでした。

彼女を知る誰に聞いても,その笑顔が最高に素敵だったと言います。本当にあんな素敵な人の気持ちを優しく和ませるような笑顔は他にはいません。

最後までは観ていない「おくりびと」について今思うことは,まるで荘厳な儀式のように行われる一連の作業を見ているのではなく,遺族の方が自分の手で,愛する人を丁寧に優しく清めてあげることができることが,とても意味のあることではないのかな,ということです。もちろん,それができないような状況がたくさんあるでしょうが,可能であるなら,そうしてあげられるといいなと思います。

そんな風に,彼女の最期の時間を一緒に過ごしてはいるのですが,それでも,まだ彼女が亡くなってしまい,触れることも声を聴くたともできないということが信じられません。

ドボルザーク作曲「弦楽六重奏曲」作品番号48を聴きながら

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