2010年12月24日金曜日

リアル vs  ヴァーチャル

忘れられないシーンがあります。
6月1日朝6時頃,入院していた病院の前から,妻は千歳空港に向かって出発しました。私の弟が運転するバンに乗って,頭痛のための点滴をしながらの旅立ちでした。

友人や私の家族関係などが早朝から見送りに来てくれました。病院のロビーでみんなで写真を撮り,車に乗り込んで点滴剤をハンガーに引っかけて車の窓枠のところに設置しました。そうすると,妻は車のドア付近までしか動けない状態になりました。彼女は7~8メートル離れたところに立っている友人たちに「最後にギュッとハグしたいんだけど。ヴァーチャルじゃなくて」と言って,両腕を前に差し出すようにしてハグを求める仕草をしました。
そのとき,妻は自分の余命が最悪の場合2週間,長くても2ヶ月であることを知っていました。最後まで明るく,車に乗る前に友人たちに向かって「夏休みにどうぞアメリカに来てください。おまちしてます。」と言っていたのですが,最後のハグになるであろうことは知っていたと思います。また,友人たちも彼女の脳にがんが転移していることは知っていました。

僕は友人たちがキンバリーの差し出した腕に応えて,ハグしあうシーンが展開されることを期待しましたが,彼女の求めに応じてくれたのは,アメリカ人の友人だけでした。ギュッと抱き合って,アメリカ人の友人の目から涙がこぼれました。 その後,それに続く人はなく,車は病院前を発車しました。

いろんな見方があるとは思いますが,このエピソードに典型的な日本人が現れていると思います。
何かそれなりの気をつかったうえでのことなのでしょうが,妻本人が最後のハグを,リアルなハグを求めていても,それに応えない,応えるように動かない日本人。札幌での最後のハグが日本人ではなくアメリカ人だったというところに,前回書いた,日本人は「テレパシー信仰社会」だという意味があります。気持ちがあれば,何もしなくても相手に通じると思っている人が多いと思います。ヴァーチャルなのはゲームの世界だけではありません。

つい,日本人批判の内容になることが多いのですが,妻は決して僕が書いてるようなことを思ってはいませんでした。念のため。

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